今回のトピック総集編



まず第1感、題、色下品。

私目が悪いんで、ページ作ってるとき各回分とどっちかわかんなくなりそうで、すんません。


 ま、いきます。



  以下、すでに総集編



【60年安保闘争総括;その1】
  または、前衛神話の跋扈(ばっこ)の終焉(しゅうえん)

【60年安保闘争総括;その2】
  または、革命「=戦争」史観の実例的破綻あるいは組織「=手段」論の実例的破綻

【植民地論 ―― または国家間関係の重要な1様態】
  
2段階戦略論総括

【組織のイデオロギーと組織が持つ社会連関】
  「労働者国家論」をめぐって
 

【過渡期国家論】
  過渡期社会の規定と「理論」をめぐる若干の考


  


 今月、4月分の話題です。
 本題に入る前に、本題に入るための力を与えてくださいました私の友人たちに感謝させていただきたいと思います。
「へー、そんな人もいるんだ、、、」
 そう思ったあなたのことです。
 もちろんこんな文は今はただの世迷言のように思われるだろうし、私にしてみても実はささいな努力にしかすぎませんが、どんなささいな努力でもゼロよりは数千里も先に行っているのだ、という千年来の真理をもう一度繰り返して、あなたへの感謝の意義深さを強調させていただきます。




《60年安保闘争総括》

1 60年安保闘争を知らない人へ

 まず、私を含めて知らない人々が大部分である「60年安保闘争」とはなんだったか。
 それは、日本史的には、1951年調印された日米安全保障条約を、日本国の主体的地位を確保すべく改定しようとした岸自民党政府に対して生じた、「戦後、最も広範で、最も大規模な大衆運動」である。
 もっとも、そのあとに続く結果の評は、「せいぜいアイゼンハワー大統領の訪日を阻止した」とか、「岸首相を退陣に追い込んだ」とか、そんな言葉が続くだけではある。
 (たとえば、原田勝正「日本現代史読本」東洋経済新報社、1988)
 それが、「私たちの国に」現実に起こった事実認知として、後に続く日本人の意識の変化と、それを推進する「国民的な」諸運動との下支えになっていたと、まあ書くくらい簡単だから書けばいいのにと思うが、「それらの端緒となった」くらいには誰もが書くが、そこまで積極的には誰も書いてはいないようでもある。
 ただここでは、安保闘争は、戦後、というよりは、日本で最大の大衆運動であることにより、人々は革命を夢み、革命的な言葉が乱れ飛んだ、その連続的結果が70年闘争であったことを、知らない人はまず確認してもらえばいい。
 ちなみに、知らない人に運動の大きさだけの話をすれば、要は日本人の多くがそこに過去の戦争の亡霊を見たのであり、この生理性に支えられ、それこそ「国民的な」賞賛に支えられ、運動が存在した、それだけのことではある。ここでは、運動それ自体についてではなく、その参加者の総括、あるいはこの歴史を背負った者(私)の総括を問題にするものである。
 

2 「総括」

 ここで、「総括」とはなんだろうか。
 それは、あるものが「なんだったんだろうか」を記すものである。
 個人にとってはそれは自分史の中の一こまであると同時に、自分の方法的方針、すなわち倫理を確認するものである。これは世間では、「反省」という。
 他方、第3者にとっては、同時に社会にとっては、次の社会への働きかけを知識化するものである。これは、世俗の言葉で「教訓」という。
 それなしになぜそこで死んだ人間を弔えようか。
 人は、この死が無駄ではないと知って死ぬのが次善の幸せであり、それは生き残った者のささやかな務めだ。およそ、自分の過去にも他人の生にもほおかむりして今のみを生きる人間は、「生かされている」に過ぎない。別にそれは一般論としては他人事なのだが、しかし、過去私の周りに存在した人間については、これは私のことなのだ。
 

3 倫理

 本論の主題は、は私という第3者についての総括、「教訓」であるわけだが、その前に、個人についての総括とは何かについて考えておく。
 
 60年に向かう日本の政治的諸運動の中に、運動行為者の実践的な規範として存在すべく扱われた概念、それが、倫理である。
 「倫理」なるものは、戦前の帝国日本においてドイツ観念論の輸入官許哲学製品となり、国家施策を文句をいわずに遂行する根拠として、広く旧制高等学校(今の大学教養課程)で教えられた。これが、戦後、行動する政治個人の持つべき根拠として横流しされ、「マルキスト」や「市民」の行動規範として、売られようとし、一部はもてはやされもした。
 
 なぜ人は、いや私は、「倫理」などというものにこだわろうとするのか。
 倫理は、時代によって変わるファッションのようなものではないのか、人が、あるいは私がどんなシャツを着ようが、他人に、さらに自分自身にも、とやかく言われる筋合いはないのではないか。
 ではない。
 
 個人の持つ倫理とは、社会の持つ道徳とは異なって、自分が生きる方法のことである。
 それはだからいつの時代でも存在し、いつも行為者本人にとって正しい。
 あるいはそれが自分にとって正しいように自分の行動をコントロールするものだ。
 昨日正しかったことを、少し変わった状況が目の前にある今日も正しく行えるように、それは体系的に自分の中で理論化される。
 それが体系立っていればいるほど、その体系性、すなわち常に使用できる行動の用具としてそれは正しい。
 刻一刻移り変わる「方法」など、ないのと同じだ。昨日使ってみたけれど今日はもう使えば自分にとって満足できないもの、そんなものは虚無だ。

 従って、必然的に倫理はウソを否定する。
 
 例を挙げよう。ただし、私の言葉を使って。
 ある国会への突入が賞賛だったとき、学生Aはこの賞賛を行為として遂行した。
 ある国会警備員は、学生の純粋さを感じつつ、手加減をして警備をし、かえって学生にしたたか殴られた。
 1ヵ月後他の党派による国会突入が生じたとき、学生Aはこの行為を非難した。
 これは国会警備員にとって許しがたいウソである。
 他方、本来、学生Aにとっても非倫理的行為である。
 彼が行った行為について、この行為は自分のものではなく、所属する党派の行為だ、といっているのだ。誰が牛耳っているのか何の根拠もない政治局員の行動についていく、それが自分の生き様だ、といっているのだ。
 政治局員が人を殺せといえば殺す、それが自分の生きる方法だ、というならそれは倫理だろう。が、そうではない。彼は、自分の意思でレストランでトンカツ定食を食い、自分の意思で高校時代の仲間と喫茶店に行く。挙句の果てに、10年後、のほほんとサンケイ新聞で働いている。
 倫理は、彼の生きる方法でなければならない。国会への突入が彼にとって正しいとき、学生Aは、他の党派学生Bによる国会突入について、たった1ヶ月前の彼の判断における彼自身の正しさを貫徹しなければならない。それができないやつが他人を非難するなど、鼻の先で笑うしかない。
 もちろん、これは人間の偉さの問題ではない。そういう上方に向かう問題ではない。おれは党派に命を捧げているのだ、というやつもいるだろう、結構じゃないか、勝手に生きてくれ。それは何も偉くはない。カネ儲けに生を捧げているホリエモンと同じだけ当たり前の姿だ。
 私は、そうでないやつが論外だ、といっているに過ぎない。さしあたり彼自身にとってはどうでもよい。しかし、国会警備員にとっては原理的には社会的に否定すべき悪辣な存在なのだ。
  
 本論では、主に新左翼に連なる思想系譜をとりあげるわけだが、その他の新聞・雑誌を賑わした民主主義論者がいたことを知らないわけではない。が、彼らには思想がない。現在21世紀になって思想史を語る者は、私もそうかどうかは別として、いずれ、どこかの左翼セクトに分別されるものである。その著者たちが何を語ろうと、若い人たちは信じてはいけない。現実に行動した人間にとって、あるいは行動はしなかったが悩み抜いた人間にとって、つまり、ある考えを自分の生き方と照らし合わせて考え抜いた人間たちにとって、60年安保で生じた思想的事件は、戦後民主主義への懐疑と、戦後左翼進歩思想への懐疑であった。そう。若い人たちは分からないかもしれないが、人間が悩み抜くなどということは、ほんの30年前まではざらにあったのである。
 戦後史家がいうように、人々を煽った(あおった)のは「民主主義者」諸氏である。
 煽るというのは、論理もなく、つまり、「手法が民主主義的ではない」だの「安保は戦争につながる」だのという、そんな論理でもない論理を掲げ、人々の利害を代弁するだけの輩の行動をさす。経済過程に総括などないのと同じで、そんな者の言葉には、なんらとりあげる意義もない。

 まことに自分が生きることと思想の累積との関係しか考えたことのない自称倫理学者諸君がなにをいっても、一般教養の教科書にしかならない。
 倫理とは従って、自分の思想と現実との接点にかかる問題なのであって、それを打ち出しえた60年から70年への思想こそ、人間が得た思想史の巨大な収穫に他ならない。凡百の有名人の世間で売れた評論を並べたところで、それは昭和歌謡史とまったくの同等品でしかない。
 
 個人は自分の価値観=賞賛と優越に従って、これと一致するように現実と取り組む。
 ここで、現実にぬくぬくと生きることを選べば、個人は、他人の批評を嬉々として行い口をぬぐっていればそれですむ。
 しかし、本来の自らに内在してしまった生き方をとれば、人は現実がどうであろうとこれを無視して戦わざるを得ない。
 もちろんそれでも全ての人が果てまでいけるわけではない、ひとはどこまでかで折り合いをつけざるを得ないのだが、だからといってぬくぬく生きた人々にケチをつけられる筋合いなどないのだ。
 
 本来、倫理というのは、まず形作られ生きられてしまったものなのだ。これは、この瞬間が思想を生きる瞬間なのであり、途中下車など出来ぬものなのだ。
 
  
4 60年安保:第1部

 さて、ものごとは、一言で言い切らないと理解されないことが多い。
 皆が感づいていながら意識化されず過ごした歴史は、70年代に最悪の結末を迎えた。がそれにしてもそれを集約して否定する一文が必要である。
 
 60年安保の総括、それは第1に、前衛神話の跋扈(ばっこ)の終焉(しゅうえん)である。
 
 他人のために、と称して自分のやりたい放題を繰り広げる「前衛」。
 それは、エリートたる存在の歴史的段階的不可避を、対抗権力の中で現実化するものである。
 もちろん、歴史的段階の担い手は歴史的に決定されるというしかない。しかし、これを阻害する連中は速やかに退去さるべきである。
 60年において彼らは速やかに去るタイミングを与えられていた。しかし、歴史的条件の何もない空白期間には、人は、自分の人生で培った組織的交渉と、思い込みにより、どんな茶番を犯すことでも出来るようだ。いまだにたかだか自分のために他者を殺してのうのうとしている者がいること思うと、はっきりとこの歴史的総括をしておかなければならぬ。
 
 「前衛」の前提は、自己にかかる権力上の優越、すなわち、自称「倫理」、実は、社会的少数エリートが担う社会道徳である。
 もちろん、その前提は、その社会道徳を支える、社会的生理性であるが。
 
 (この辺で日常用語に翻訳しておくと、「前衛と自称する諸君は、前衛を演技することで、その他一般の人々に優越すると感じ、そのために死ぬ、とか称することで、自分の人生の意義深さを感ずる諸君である」「その前提は、権力者は、少数であり、かつ、理想を語らざるをえない(暴力のみでは権力を維持できない)、という社会構造がある」といっている)
 
 社会において「理想」が社会的権力を持つとき、理想は、個人について自己に関わる賞賛を探索する。あるは、マルクス主義、社会主義、右翼ファシズム、キリスト教、etc.
 社会が賞賛すると観念する範囲は、個別具体的な「価値観」であるわけではない。
 たとえば、皇国史観という「価値観」があるかのように歴史家は書く。
 しかし、それは個人が抱く価値観ではない。個人にとって、そうした価値観は、あるようでないものである。
 個人にとって、自己に関わる社会が持つかのごとく反省されるのは、大日本帝国が権力によって拘束する「皇国規範」ではあっても、「何か」が持つ皇国価値ではないのだ。
 他人が発言する、「理想」と自己を律する「規範」。
 この2者が、同じ行為的意義を持って別の次元で個人に機能する。
 理想は、そこにみる行為者が言説を吐く姿としての賞賛を。
 規範は具体的行為の内容としての賞賛を。
 
 前シリーズまたは前著で述べたように、イデオローグは、売れるようになって、同じ意味だが賞賛を体感しつつ、本論をなす。
 1900年、幸徳秋水や片山潜が、日本ではじめて軍国主義、帝国主義と最後まで対決した、との井上清の評があるが、そんな大それたものではなく、ようやくこの時点で、一部のエリートは国家階梯からはずれたことから自己を取り戻し、正しく言えば他己を手中にし、国際的な共同性を見出しうるようになったということである。
 井上清「日本の歴史 下」岩波書店、1966.

 戦前、戦中の日本の権力=反権力のエリートたちは、それを行為してきた。それが、60年において終わりを迎える。
  
 この例証に、まず第1部として、60年の論客たちによる論集、「民主主義の神話」現代思潮社、1966年。
 を挙げる。


 
(1)梅本克巳

 初めは、梅本克巳を挙げる。
 
 梅本の場合のテーマを掲げよう。すなわち、「道徳倫理の葬送」。
 
 述べたように倫理は自己の生き方の方法である。それはなんら、社会の賞賛におもねるものではない。もちろん個人を育てるものは社会の賞賛だが、育った人間が持っているものは、すでに自己が育てた賞賛のシステムなのだ。すでに自分の持つ世界への一貫性の遂行義務は始まっているのだ。
 戦前、戦中の倫理は、権力と結託し、権力規範の下での個人行為を指導する道徳倫理でしかなかった。これを受け継いだ最後の世代が、梅本克巳である。 


「民主主義と暴力と前衛」

「その意味で認識そのものもつねに主体的なものである。かくして善きにせよ悪しきにせよ、つねに予測をはみ出したもののあるのが歴史の世界であり、ある意味では歴史は、まちがいの産物であるといってもよいくらいだ。しかしそのまちがいに埋没するだけでは前衛は成立しない。つねに自分自身を客観的に対象化してゆくだけの余裕と能力がなけれぱ、どんなに主体的であろうとしても、結局は主観性の枠内のものである。客観性への決意を放棄した「主体性」はあくまでも擬似的なものであり、やがては白分にとって都合のわるいものには本能的に眼をとじてしまわなけれぱならない。そこでどんなに主観性の情熱をかきたててもそれは主体性とは何の関係もないのである。異なる立場に対してもそれを理解して批判することはできないから、批判と罵倒との区別もつかなくなってしまうだろう。
 どんな権威にもおじけぬことはいいことだ。しかしおじけぬということも、新しい世代にとってはもはやそれほどめずらしいことではない。すでに世代はそこから何をつくり出すかというところに移っている。古いものが新装をこらして登場しただけでは何にもならない。平凡なことだが過去のあやまちをくりかえしてはならない、とおもう。敗北したもののなかにあるすぐれたものをとり出し、理不尽な取り扱いをうけたそれらのものに、新しい世代があたらしい意味を見出だしてゆくためには、何故にそれが敗北したかを考えてみねぱならないだろう。マルクスでもレーニソでも、スターリソでもトロツキーでも、間違っているものは間違っている、いいところはいい、というそのタテマエに絶対間違いはないが、このことばのなかにはまだ何もないのである。そのことばを生かしてゆく実際の作業は、やはりどのような現実をも怖れぬ科学の立場をつらぬくよりほかにない。どんなときにも自分自身をたえず客観化することのできる決意をもちつづけることだろう。この客観性への決意が、一切の非人間的なもの、非条理なものとのたたかいの決意と結ぴついたときに、若い世代は強力なエネルギーを発揮するだろう。それは客観性を傍観性から守り、非人間的なものへの怒りを主観性から守ってゆくことのできる土ネルギーである。それだけが、決定的な時点に、あえて「まちがい」を犯す権利を主張しうる歴史のたかの合理性である。逆説を語っているのではない。」
(p169)

「(ある運動の指導の決断が)それは政府の挑発にのることだというならば挑発ということばはここではまったくその意味をかえる。国民の大部分が挑発されたときには、その挑発にふみこむあやまちはだれかが犯さねばならない。その間違いの責任を負い、その成果の全てをかれらのあとにつづいた大衆の一人一人にひきわたす。この決断の中に前衛の血があるというのである。
(中略)
その意味で、ある決定的な時点においてその時点の意味をまぎれない行動において示し、どうにもならぬ袋小路を突破しようとした学生たちの判断を私は貴重なものとおもうのである。現在における前衛の意味はここからさぐられねばならないだろう。これを「挑発者」の仕業にしてしまったのでは、「挑発者」そのものを批判することもできなくなってしまう。問題は挑発したものと挑発されたものとの区別にあるのではない。またあの行動を英雄化したり感傷的に讃美してはならぬというもっとも千万な訓戒にあるのでもない。挑発したものもあるだろうし挑発されたものもあるだろう。英雄化したり感傷的に讃美したりするものもあるだろう。そういう批判も無意味ではあるまい。しかし重要なことは、たとえそれがまちがいであっても敢てそれをやらねぱならぬとした時点の把握であり、そのまちがいの責任を回避しないこと、その責任を負うてその成果を大衆に与えようとした前衛の血がそこに流れていたかどうかということである。」
(p124)

 
 ここには、倫理家たる梅本の個人重視の視点(といってもそれは国家権力へ対抗する人間として個人しか挙げられない、という必要性の結果のようだが)と、「エリート」梅本が持つ優越の根拠との同居がある。
 すなわち、大衆はわれわれインテリに指導されなければ何も出来ない代物、という発想である。
 悪口をさらにいえば、他方では、個人主義観念論者らしく、共産主義は活動の中にあるという世迷言まで述べる。いったい、共産主義はそんなところにないから、苦労して、科学的社会主義が成立したのだ、ということがわからないのは、正真正銘、幸せだ。
 しかし、それにしてもこの倫理学者は最良の要約者というべきである。
 なんの総括もなされていない現実の歴史過程の中で、ふたたび(学者の本の中ではなく)生活 現実を生きていく人々に呼び出されるのは、彼の著作だろう。


(2)森本哲郎

「六月行動の政治と文学」

 これは今見てもたいしたものではない、が、その他の重要な論者と同じくこの論集に組み込まれたのは、それなりの歴史的価値があったと考えざるを得ない。

「"事態収拾" が当面の急務とされる。いかにも、なんらかの措置によって事態は常に収拾されるであろう。しかし、それは毫も解決ではない。同様の事態は、何度でも繰り返されるはずだ。それはあながち政治解説家たちがいうように、政治家たちがせっかくの反省をすぐに忘れてしまうからなどということではない。
 ここで直面しなけれぱならない深刻な事態の認識とは、民主主義が一時的な妨害を受けているのではなくして、民主主義イデオロギーそのものが挫折したのだということだ。つまり、ひとつのイデオロギーにまで転落したデモクラシー、形式的民主主義の虚偽性が自己を暴露したのだ。それは、戦後日本の原理であったといってもよい。そういう観点からすれぼ、戦後日本はここに滅んだということになる。しかし、この日本の滅亡は、その支配層にとってはみずからの減亡とたる。したがって、事態は収拾されなけれぱならない。支配イデオロギーは生きのびさせなければならない。
 戦後日本の民主主義は、民衆の中から発生したものではなくて、はじめからイデオロギーとして出発した。はじめからそれは不動の権威であった。したがって、それは自己否定の契機を持っていなかった。そのために、おのずからそれは彩式的なものとなり、すべてはその"御稜威"にすがりさえすれぱ救われることになった。いわゆる民主主義の大安売りである。
 "民主主義カン切り"とか"民主主義ナイフ"とかのにがにがしい思い出は、皇道主義イデオロギーから解放された途端にぼくらが蒙った生々しい記憶の中にあるが、"家庭の民主化"や"セックスの民主化"の信奉者は、それを笑えるであろうか。家庭やセックスに民主主義などあるわけはないのだ。そこではむしろ、民主主義の克服こそが問題になる。つまり、無政府主義あるいはコミュニズムが指向されるのだ。同様に、政治的民主主義は、経済的・社会的民主主義を目指すことによる民主主義の克服への指向を内包しないかぎり、形式的なものたるに止まるであろう。」
(p107)

 この修飾語だらけの思わせぶりな随筆は、当時の人間以外には解しようもない文だが、おそらくは、もてはやす戦後民主主義が、実は実体のないものだよ、みたいなところで少しは当時もてはやされたものと推測される。
 そう、想像だが、戦後民主主義とは、「進歩派」によってすべての価値をひっくり返すスローガンに仕立てられていたに違いない。
 一方、戦前のスローガン状況を知るものには、それらはいかにもとってつけたうさんくさいものだった、それが共産党の誤謬とともにようやく日の目をみた、というところだろう。
 いずれ、それ(ら)を聞いた少年たちが誤解したのとは異なり、制度としての民主主義が非難されているとは考えないほうが良いのだろう。
 
 
(3)黒田寛一

「党物神崇拝の崩壊」

 戦後、共産党しか進歩勢力のない時代の賞賛と優越を一身に背負って成長した諸君らが、それなりの知性を持って「党」を割って、しかし、新しい自分だけの党を求めてさまよい始めた。
 こういう人々は、誠実に自分に沿って生きる人々とは異なり、社会の中で優越を見出そうとする。
 その意識は、旧来のままだ。その意識を背負って生きる人々もいる。
 旧来の組織を引き継いで、その組織の中の関係を生き続けることによって自己の意識を生き長らえさせていくしかない一群の人々のことである。
 
「変革への意志と革命的エネルギーを労働者階級はその内にもっている。にもかかわらずそれは、腐敗した公認指導部の官僚主義的圧力によって抑圧され、あるいは発散させられている。安保闘争の推進過程で、そのことは赤裸々にあぱかれたことだ。まさしくこのゆえに、自己解放をめざす労働者階級のこのたたかいを、社会民主主義やスターリニズムなどの一切のイデオロギー的虚偽を暴露しつつ組織し指導し前進せしめてゆくこと、そしてこれを媒介する実体的組織づくりーーこれが、現代における前衛組織創造の核心をなすのである。革命的組織を一切の既成組織の粉枠を通じて創造せんとするこのたたかいは、当然にも、あらかじめ決定されたワク組みを基準とし、あてはめてゆくものではありえない。それは、一方では既成諸組織のような官僚制化を未然に防止するための主体的根拠の創造、組織の担い手たちの一人一人がその主体性と自発性と創意性を確立し発揮しうるような新しい人間への自己変革と思想変革をなしとげてゆくことを基礎とする過程でなけれぱならない。そして同時に他方それは、労働戦線の統一さえもがかちとられずに分断されている今日の労働者階級の内部に、ほんとうにたたかいうる組織、プロレタリア民主主義を貫徹し実現してゆく組織を下部から着実に創造していく過程であり、あらゆる意味における労働戦線の全体としての再編成と再組織化の過程である。」
(p199)

 彼の良き同志であったはずの諸君らも同様。
「かくして、われわれの任務は、スターリン主義打倒・革命的プロレタリア党のための闘争ということでなくてはならない」
 革命的共産主義者同盟全国委員会「安保闘争」武井健人編著、現代思想社、1968.
 
 今ではこんな立言は酔っ払いの戯言ですんでしまうが、30年以上前、日本共産党が50周年祝賀会をやっていたとき、全国委員会の諸君は「50年も前衛党をやってまだ革命が起こらないなんてはずかしくて世間に顔向けなど出来ないはずだぜ」などとうそぶいていたものだ。天にツバをすると自分の顔にかかるものだが、天などという立派なものにでなくとも、悪口はたいがいなところにしたほうがよいようだ。
  

(4) 谷川雁

 「定型の超克」

 谷川は、それまでの戦後出獄の、ただそれだけの価値を持った共産党と決別した。そしてここがポイントだが、その他の共産党分派=共産同、革共同とも決別した。
 彼が70年に望んだものは、そんな同じ穴のムジナではなく、自由な、共産主義者である。
 これはプチブル主義と評そうが、そんなやつもいなくなったことは、嘆かわしいことかよかったことか、彼の歴史認識の適正さは変わりはしない。
 歴史を担うのは、個人的正義感ではなく、現実にどう動いたかか、だからだ。
 
「こちら側には固定した指導体系がなく、状況のたびに編成し直されるイデオローグ集団しかないだろう。また状況のたびに選びとられる行動者集団の横の連合しかないだろう。そして闘いの推移につれて、協同の範疇は狭くなり、細く強靱な一本の糸だけをのこすにすぎなくなるだろう。長い苦しみののち、人びとは対立と協同が同義語であるような、そのような世界を発見するかもしれない。そのとき人々は一転して、いや順当にパルタイ的集中を求めるであろう。しかしそのパルタイとは、今日のパルタイ概念とは縁もゆかりもない反パルタイ的パルタイであるはずである。」
(p41) 
 
  
(5) 吉本隆明

  「擬制の終焉」
  
 この同時期の誉れ高い論文については、中立的に見れば奇妙な憎悪が流れていると感じるのが普通だ。
 吉本の労働運動の敗北を通した、命がけの、憎悪と、それ以前から持っている、軍国少年だった自分に対して、これを凌駕すべきはずの革命勢力共産党に対するそのあまりのいいかげんさへの裏返しのコンプレックスによるものなのだろう。
 もちろんそれは一方では、「他の社会科学者や前衛主義者と同様に」、既存の言い伝えにしか社会科学的知識のない活動家が、あげた悲鳴とみることができる。
 前衛党主義者は吉本をブランキストと罵倒する前に自分たちはそれ以下であることを認識せねばならないのだ。あるいは公平に言えば、少なくとも、彼を指導できるだけの理論のかけらももたなかったことを深く反省すべきなのだ。
 
「おそらく、安保過程での市民・庶民の行動性は、市民・民主主義思想家の啓蒙主義とちがっていたぱかりか、むLろまったく無縁でさえあった。漢然とした何もかも面白くないというムードから、物質的な生活が膨脹し、生活の水準は相対的には上向しはしたけれど絶対的には窮乏化がすすんで、たえず感覚的に増大してくる負担を感じながら、五五年以後の拡大安定化した社会を生きてきた実感にいたる多様のなかでかれらは、安保過程で、はじめて自已の疎外感を流出させる機会をつかんだのである。すくなくとも、労働者運動にあっては、戦後何回か体験した大規模な大衆行動の機会も、市民または庶民にとって戦後はじめてつかまれた機会であった。かれらは市民主義または国氏共闘会議の旗じるしの下にあっても、思いだしていたのは戦争の記憶だったかもしれず、また焼げ出されてほうりだされた敗戦時の無権力状態の記憶かもしれたかった。すくなくとも国民共闘会議や、市民主義のイデオローグにはない破壊力が、これらの市民や庶民のなかになかったとかんがえるのはイデオロギー的盲目にしかすぎない。」
(p75) 
 

(6) 埴谷雄高

 「自己権力への幻想」
 
「自発的な指揮者がまったく新たな状況に応じて個々の事態を手際よく整理し、ひとつの《まったく新しい状況》をつくりだす事例を幾つか見た。この自発的な指揮者は群集のなかにそれまで埋没しており、また、次の瞬間にはそこへ埋没してしまうのであって、状況が与えられれぱ、いわぱ必然的に出現してくるのであった。状況が与えられるとき、誰も見知らぬ、無名の《変革者》が奔出してくるこの幾つかの事例は、疑うべからざる事実として、私がこんど自ら体験し得た深い教訓なのであった。スクラムを組み得るかぎりの広範な連帯性、支配層を裸かにする武器もまた自らの手許にあるという絶えざる自覚、そして、いわぱとどまることもないこの自他の《変革》の意識。これらが私たちの自已権力の基礎をかたちづくるのである。
 恐らくこんどの国会デモ以後の私たちの課題は、個人の自由と幸福をまもる市民意識の徹底化と、階級的な自由と不幸とを打破する闘争のなかで成長する自已権力の自覚とのあいだの二重の接点を、どのように拡張してゆくかであって、その絶えざる弾条は、市民意識の底部にも資本主義的生産の過程にもあるところの《変革》の意味をついに見失わないことにただただかかっているといえるだろう。」
(p84) 

 最後に見るこの文は、そうしたボルシェヴィズムには別に遠慮のない文学者の、市民主義的宣言である。
 この明るさは、その後70年に活躍したベ平連につながる明るさだ。
 これは、歴史的にそういう党派から距離を置いた「プチブル」的左翼が出て当然だという、日本「資本主義」史の宣言といっても良い。
 これは非難ではない。人間の自由の獲得段階である。
 およそ社会科学の知識のない人間の歴史的意志は、個人的自由の渇望以外にはない。
 生理的要求は、今日明日の問題であり、それらは未来の幻想を構成しはしない。
 人は、未来には自分の思い通りになる日が来ることを願って夢を見る。
 もちろん、そこには米を、肉を、「腹いっぱい食べられる私」がいるかもしれないが、それは自分が、「今の権力者がやっているのと同様に」好き勝手なことができるという夢である。
 社会科学者諸君、君たちは、人類史において、そういう事務をやっているのだ、ということを忘れてはならない。

 また「人間的自由」とは、このように、社会的行為の必然を自己の将来的自由の一貫的認識により、行為する、あるいは行為しうる状態をいうのであり、しかして多くの小ブルジョア的思想家の支持を得てきたものなのである。
 これを歴史的必然だとかに矮小化し、彼岸化したところにマルクス主義運動指導家の誤りがあるのだ。
 
 

 次回は第2部として、過去の参加者にしてみれば運動の主眼とでもいいたいだろう、社会変革運動としての安保闘争総括を試みる。



《60年安保闘争総括;その2》

 前回は、60年安保闘争によって、戦国時代以来綿々と続いた(それ以前からかどうかは知らない)それまでの「前衛」なり政治指導者なりという、エリート主導の体制が崩壊したことをお話しした。つまり、「前衛神話の崩壊」である。
 
 今回は、安保闘争の社会変革に関する意義の総括である。
 このテーマも一言で述べよう。
 ポイントは2点である。
 第1に、革命の戦争論議の実例的破綻。
 革命をあたかも戦争と同じように扱い、戦闘の勝利が革命の勝利だと信ずる単純バカの論議である。
 昔こんなことを言ったら大変なものだったが、昨今はだれもがそう納得せざるを得ないことがこの世相の唯一のメリットだ。
 もっとも、古今から、戦前共産党の時代を含め、ほとんどの過激派の主張など多かれ少なかれ同じ発想だ。
 革命は戦争ではないのだ。
 とはいえ、どうしてもそういう発想になってしまうのが、格闘技を見てわが事のように応援をする視聴者と同様、自分の勝利を幻想する行為者、という個人問題である。
  一応、本質的にはそういうものが多いのだからしょうがないが。

 第2が、組織指導者の夢見問題の実例的破綻である。
 組織は、組織の幹部を自認する者とっては、自分の行為の達成の転化物のような気がするものだ。それはそれでそんな誤解もあるものだ。組織人にとってはそれが生きがいだから。
 ここで、組織の組織化は、人間個人の行動方針のように、目的の特定化を必要不可欠とする。
 組織はある物事の達成のために存在するのだ。
 
 実は、もちろんそんなことはない。
 といって社会学者で驚かない人は、まあ100人中99.5人かなあ。はなから、私、隈をバカにしてる人が0.5人いるとして。
 実は組織は単に人間個人の目的の集合性として存在する。
 まあ、そうなんだけど、そんな正しいことを言っていると話が進まない。
 
 元に戻って、「組織はある物事の達成のために存在するのだ」とりあえず。
 
 ところが本来、社会の配置にも、それらの動きにも、ある局面に特定された問題しかないのであって、ここで、それぞれの組織が分立することになる。はっきりいえば、そんな特定利害をあたかも労働者階級総体の利害の代表のような顔をして主張するようになる、ということだ。
 
 社会科学関係者以外には複雑な話をするようで申し訳ないけれど、社会には特定の問題はない。すべては統一されて、生産関係と暴力の配置に規定されている。にもかかわらず、社会の局面は特定の問題だらけなのだ。
 いや、複雑な話がわかりにくいのはあなただけのことではなくて、そんなことは自称マルクス主義者諸君も知らないことなのだ。
 
  今回はこの2点について、焦点を当てる。
 
 
1.革命=戦争問題

(1)問題の所在

 たしかに60年安保闘争それ自体の高揚は、述べたように「平和への危機」と「民主主義への危機」によるものであったろう。(なお、この点についての確認資料は、実はあまり現存していない。その頃「平和と民主主義」を叫んだセクトの記録は出版されているが、それでは信憑性に欠けるというのが正しい姿勢ではあるから。図書館等をざっと見たところ、政治学者石田雄の本・論文はまだあるので、その所論を)。
 しかし、これは、運動の人的動員がどう起こるか、の実例ではあっても、今に引き継がれる問題ではない。もともとこれは文字通り、理論の問題ではない。
 他方、全学連、その他、勃興した新左翼セクトが叫んだスローガンは、今でも、これからも、評論的に使用される問題である。従って、これから生きてゆく我々にとっては、この点を教訓化する必要があるのだ。

 つまり、名前くらいは聞かれているだろうか、昔の赤軍派というセクトの発言に、こうある。
『プロレタリアート諸君! 前段階蜂起――世界革命戦争に勝利せよ!』
「戦争宣言」共産主義者同盟赤軍派軍事委員会、1969.

 もっとも、ここまでいうのは一部跳ね上がり分子のみというべきだろう。闘わない主流へのアンチテーゼでとでもいうか。
 一般には、
 『要求の具体的勝利のために、徹底的に闘い抜くことによってこそ、プロレタリアートの反抗のさらに決定的な爆発の準備も、前衛の形成も進むのである』
 『戦旗』22号、共産主義者同盟政治局、1960.
 闘争の激化から階級決戦へ、というわけである。
 結局、今は味方の間で、たくさんの兵士を集め、いつか関が原に撃って出る。ということである。
 自称革命家諸君(の一部?)が、大規模の闘いは戦争と同じだ、と心得ていることがお分かりだろうか。
 
(2)戦争とは

 では、なぜ戦争と革命は違うというのか。
 実際、戦争とは何かなんてほとんどの人間は知らない。大量に人が殺し合うイヤな事態だ、くらいなものだ。
 まずは、権威主義者諸君のために、クラウゼヴィッツという名前を出しておこう。
 「戦争とは他の諸手段による継続した政治以外の何ものでもない」『戦争論』P24。
 別に大した意味はない。彼にして、この程度のことしか考えていないということの確認である。
 クラウゼヴィッツの著作は、単に歴史的1時点における戦争技術の集積に過ぎない。
 その観念性は、頭のある賞賛者は無視するだろうが、当初、「戦争はつまるところ拡大された決闘以外の何ものでもない」という表現そのものである。
 これでは戦争も喧嘩も何も変わらない。
 だれだって喧嘩もするのなら、だれだって戦争もするさ。バカか。まあ、バカなのだが。
 にしては日本で有名なのは、実は戦後の左翼諸君がもてはやした結果でもある。「戦争」などという本来右翼の専売特許みたいなものを賞賛しようとする諸君の友達は、やはり、友達づきあいを一考したほうがよい。
 クラウゼヴィッツ「戦争論」中央公論新社、2001.P34
 
 正しい規定を言おう。
 戦争とは、武力に掌握された生産体系の衝突である。
 そこではすでに生産関係が掌握していること、それによって、生理性とともに賞賛や優越も確保されているのである。
 いいかえれば、明日の「われわれの」消費を守るためには戦わざるをえず、戦うことによって「われわれ」の間の賞賛を受け、あるいは「われわれ」の中で優位に立つ、そんな状況が前提とされている。
 
 ところが残念ながら闘争は戦争ではない。それは生産関係が武力に掌握される前の段階で行われる「武力掌握の方法」でなければならない。
 
 もちろん、革命家の好きな革命は一種の戦争ではある。
 すなわち、そこでは戦争と同様に、武力を掌握した生産関係が戦われている。
 ここで両者の違いを述べよう。すなわち、勝利するべき体系が確立されていないものが革命なのだ。
 理想ないし理念によって浮かび上がりつつあるものが、勝利した武力とそこでの「知識」によって現実化される。それが革命なのだ。
 したがって、明治維新を革命と呼ぶのも本質的に正しい。
 人は旧体制によって担われたかのごとき「維新」を革命と呼びたくはないだろうが、それはまた、人がいうようにフランス革命のような革命である。
 こうして、革命的な暴力行為は、武力集団組織の分裂が不可欠である。これのない状況では、それが生ずるまで、非暴力的に推移するしかない。
 人は暴力革命を口にするが、暴力革命、すなわち国家的暴力装置の暴力的勝利は、その定義からして国家的暴力装置の内部的分裂が必要なのだ。
 それを考えないでも歴史的価値がある社会運動にとっておめでたい時代は、もう30年前に終わった。

 理論体系上の話をすれば、行為共同性を規定する生理性には2通りあるのだ。
 通常に暮らす日常的な生理性と、今現在の生理性である。
 ここで、日常的な生理性は、明日を考えての2次的なものであり、仮に、1次的な、すなわち今現在のホルモン的状態に齟齬があれば、われわれはその1次性に従うしかない。
 すなわち、革命行為は、通常以上の将来を夢見つつあるポイントにおいて飛躍を行う行為、日常的な生理性の土俵において常識外の日常的離脱を伴う行為である。
 一方、明日を考える2次的な生理性が、日常性を凌駕する場合がある。
 そこでは、今現在のホルモン状態とほとんど同一な日常性が存する。
 つまり、四六時中の権力下状態である。奴隷状態がこれに近い。あるいは戦争状態といってもいい。ここに比して、革命は日常の延長である。
 
 さらに、具体的な暴力的価値行為は、掌握世界の小ささを根拠とする。
 よほど小さな地域集団、仲間集団の中でしか、暴力的な行為は価値を生じない。せいぜいが戦国武将のような、仲間内で数千、せいぜいが社会体系の中で数万という世界だ。
 世界が変わらない状況で、人は行為をしない。
 これは指揮的暴力行為、たとえば近代国家的軍隊指揮と、と現象として決定的に異なる。

 ここで、私の定義の前提は2種である。
 第1に、勝利し得ない自称革命理論家諸氏による「革命」定義は、夢にすぎず、社会科学で扱われるべきでないこと。
 第2に、革命は決して経済問題ではないこと。たとえば資本主義の経済的前提の成立の有無が革命を革命たらしめる、などという話は、「地震や噴火は反革命である」と主張するのに等しい。
 負けるかもしれないが勝利もしうる人間の営為が革命と呼ばれ、後に続き社会を変えんとする者にとって意味のある表現となるのだ。

(3)現実的要請

 第2の問題は、革命戦略、実は闘争目標である。
 実際、まともな組織指導者は、闘争の物理的意義(の小ささ)など分かっている。しかし、そんなことをいっていては組織員が動かないから、子供じみていようが、今度のケンカはがんばれよ、と表現してしまう。
 別にそれが悪いとか言っているのではない。
 組織指導者は、だから、自分はたいそうなことをいっているんじゃないんだ、なんら理論でも戦略でも状況認識でもないんだ、ということを自覚しておけといっているにすぎない。
 自称革命家の諸君は、必ず闘争課題を見つけてくれる。
 しかし、その闘争課題は、子供がケンカする目標、当座の相手にどう打撃を与えるか、に過ぎない。
 そんなものに、「いや負けるのはわかってるさ、敗北してこその歴史形成だ」なんぞとはいわれたくない。
 もちろん、じゃあどうすれば相手に本当の打撃を与えたか分かるのか、といわれれば、そんなことを科学知識のない人々に分かるはずもない。
 だから、このように隈ががんばっているのだ、と答えるのに、私には何の躊躇もいらない。
 私は、現在、具体的目標の達成のために苦闘を続ける活動家の諸君に、何の留保もなく敬意を払うものであるが、それに次いで自分の仕事の遂行に誇りを持っている。だれにこの仕事ができるんだ、と。
 指導者は謙譲せよ。
 それが権力を操る者の務めだ。そして革命の最後の瞬間の国家権力の争奪に、思う存分暴れて死ねよ。
 私はアナーキストだが、まずはボルシェヴィキ諸君の国家権力の入手を阻むものではない。


2.組織=階級代表問題

 ついで、組織だ。60年安保は日本共産党から喧嘩をしながらいくつもの組織が分れでて、後のセクト間闘争の原型を形作ったときでもある。
 これに対して誰が間違っているとか俺が正しいとか、さらには、何が間違っていたかマルクス・レーニンに立ち戻って検証しようなどというのは虚しい努力だ。
 
《その社会の構成の本来から本来的な利害を主張する組織と、更に趣味的に自分の賞賛を成就せんとする組織指導者の自分勝手によって、すべての組織間にはコンフリクトが生ずる。》
 これがいたってシンプルであるが誰も気づかない真相である。

 現実には、現実の要請は、外在的な目的によって設定される。
 彼ら「革命指導者」にとっては組織の戦略なり戦術の一環というわけだが、およそマルクス主義をかじった者であればそんなものは主観的意味付与にしかすぎないことは、イロハのイ(ああ! 古い!)だ。
 外在的目標とは、国会突入なり、安田講堂占拠なり、狭山裁判勝利なり、だ。
 それらは、大衆の不満、反抗、高まった政治意識、なんでもよいが、およそ反体制を云々する政治集団であれば避けようもない要請として社会に現れる。
 
 一方、世間には世間で色々な人間がいる。人間を動員しようとする指導者は、自分は自分で好きな同行者を集めればいい。
 学生派と労対派なんて難しい話をするまでもない。
 人は、ふるさとから出てくれば、ふるさとの青い空を歌いたくなるものだ。
 人は、いかに自分が弱くとも、いかに自分の足が悪く動けなかろうとも、飢えた子供がいることを知ればこの子供を助けようとするものだ。
 60年代でいえば、これをわからないのは、東京、大阪のサラリーマンの子弟だけだ。
 そういう人々にはそういう党派が必要なのだ。たかだかホラやウソを2,3時間話すだけで人が釣れるなどと信じている政治党派員もいないだろう。まあ、1,2回のデモくらいには行くだろうが、本当に釣れるには釣れる素地が必要なのだ。
 70年の政治党派の人間でも、彼ら民主青年同盟の人々のほうが暴力的に優勢であることは知っていた。すなわち人数も圧倒的に多く、現実に鉄パイプではなく樫製の角材を振るうというだけで、内実はテロリストと変わらないことを。なんていちいち説明するのも面倒だが。
 
 もちろん、こんな平和な時代であれば、「革命指導者」の趣味で、あるいは賞賛・優越的自由によって、自分の都合、自分の趣味で、ごずいな組織方針なり組織論なりが設定されるだろう。
 そんなことは勝手にするがいい。
 問題はそれを「勝手にしているんだ」と認識することなのだ。
 
 本当に革命なり政治的変革をする気であれば、この現実の要請は、統一された大衆の合致点として、たとえば主要企業・銀行の国有化法案の国会通過として現れ、(いや、そんな国有化が現在望ましい変革かどうかは別としてのことだが、それが社会で唯一の選択である状況というものも、私がアナーキストであることを踏まえたうえで聞いて欲しいが、状況によって存在するのだ)、各「政治指導者」の趣味は、法案成立後の権力闘争に表現されるに過ぎなくなるのだ。

 では、今何をすればいいのか、と?
 責任ある活動家がそうであるように、社会運動家は具体的な目標課題の達成に努力すればいいのだ。その活動が、また、その活動の達成の一コマ一コマが、世界を変えていくのだ。
 
 
3 組織戦略のバリエーション

 (ここから先、5の結語までは、普通の人には不要です)
 
 こういうわけで、組織は運動目標だけ立てれば誤解も少ないのだが、組織指導者の義理やミエは、組織権力の行使の気分のよさから、組織の表明される理論に反映され、残念ながら組織の知識に悪影響を及ぼす。
 人間には知識が必要なのであるが、バカげた知識を見れば、ついバカといいたくなるものだ。
 
 もともとこの頃の戦略は、民族民主の2段階革命か、トロツキスト永続革命か、という点に発する。

 2段階戦略は、次のコミンテルン1932年テーゼに代表される時代認識と世界戦略に基づく。

 32年テーゼ
(来るべき革命の性格)
『その主たる目標が社会主義の樹立にある日本共産党は、現在の日本の諸条件においてはプロレタリア独裁への道がブルジョア民主主義革命を経なければならぬこと、換言すれば、君主制の転覆、地主の収奪、および労働者と農民の独裁の樹立を経なければならぬことを、明確かつ十分に理解せねばならない。
(これを労農兵ソヴィエトの形成により遂行せよ)』
J.デグラス編著「コミンテルン・ドキュメント V」対馬・雪山・石井訳、現代思潮社、1977.
(P183)

 組織は、構成幹部が変わらないと変わらないものだ。日本共産党は今でもこれにしがみついている。
 
《日本共産党綱領》

『四、民主主義革命と民主連合政府
 (一一)現在、日本社会が必要としている変革は、社会主義革命ではなく、異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破――日本の真の独立の確保と政治・経済・社会の民主主義的な改革の実現を内容とする民主主義革命である。それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる。この民主的改革を達成することは、当面する国民的な苦難を解決し、国民大多数の根本的な利益にこたえる独立・民主・平和の日本に道を開くものである。』
 http://www.jcp.or.jp/jcp/Koryo/

 一方、永続革命に名を借りた前衛党革命論が存在した。
 で、これも例を引こうと思ったが、すでに永続革命論なんて古典解説と思い出話の中にしかないのね。やだね、時代錯誤。
 まあ、みな概略を知っていることにしよう。
 もちろん、一国社会主義なるものが理論的に存在しうるはずもない。
 だからといってトロツキーが正しいわけでもない。
 そうした、たかだか現実対応の権力行使の戦術にすぎないものが、あたかも本質的な共産主義理論と思われてしまうところが笑止なのだ。
 そんなものは一国だろうが永久だろうが共産主義の成立とは関わりがない。
 そんな瑣末、些少なことを、本質理論次元に還元しなければ、人々の賞賛も優越もとれない体制、同じことだが権力連関に対しては、憐憫するしかない。
 すなわち、権力行使には、他者の行為、すなわち他者の獲得したい将来、すなわち賞賛と優越を確保する必要があるのだ。権力が究極的には人間力である以上、それを欠かすことはできない。
 
 ここで、賞賛を呼ぶ思想体系・宗教体系が確保されていない集合体にあっては、優越を権力行使の網目の中に確保しなければならないわけであるが、それにプラスして、それまでのイデオローグの反発に、対抗するための言語用具、すなわち、それまでノイデオローグが表現した遺産を、対抗しながらも「マネ」すべき「理論」モドキを表現しなければならないのだ。
 同じことだが、レーニン組織論であれ、これに反発した「ブランキスト」的新左翼であれ、本当のところは高々の権力行使の立場論を本質的な革命一般理論と思い込んだところに茶番というにはあまりにも悲劇な現実が生じたのだ。

 それはもちろん、組織を作り自己権力を行使せんとする「指導者」たちの責任である。
 考えによって変更できる権力行使の領域の責任は、ひとえに、考えなかった指導者たちが負うべきである。


4 ネットで見る両者の言い分

 こういう発想からまず、すべての共産主義左翼は、次に(自分たちの)戦略・組織論なるものを固定的に聖化しようとする。
 まあ、これは例に挙げるだけでいいんじゃないか、それ以上どうでもねえ、と思うので引用だけしておく。
 
 今回は、インターネットに掲載中の文章を例に引きたい。
 もっとも、それで気が付いたのだが、こういうインターネットという保管期間に永続性のない文章の引用の真偽はどう判定するのか、、、そう考えただけで、あまり学術的な取り扱いではないような気はするが、まあ、学術が学術であることなど、この200年の特異な現象と思えばそれだけのことだ。
 大学教授、研究所所員にとっては自分の業績はメシの種かもしれないが、会社であれ役所であれ自分の業績など明日には消えてなくなるものだ。
 閑話休題。

 おなじみ日本共産党では、八百川孝という地方議会議員がいる。
  
『都市に集中する労働者の大半は、未だ無識字者であり、生活要求で闘争に立ち上がり、それは反政府運動にはなっても、それ以上の政治を経営する能力などはまだ持ち合わせてはいなかったのです。
 かさねての指摘になりますが、10月革命においてレーニンとボルシェビキが指導力を発揮する(もちろん他の政党・それはボリシェビキよりも支持率の高い政党も当初は参加していましたが)ソビエト機関が、国会と政府機関をかねるという変則的な政治権力が形成されます。
 その執行力は、当初ボルシェビキがそのほとんどを担いますが、都市部においても、地方においても、結局は、帝政ロシア時代以来の官僚たちが、ボルシェビキの指示を受けて「活躍」していくことになったのです。
 この政治権力の性格の変化と、執行機関をなす官僚集団の性格の継続、あるいは断続性はきちんと見なければなりません。明確に区別をしておかないと、政治的事変とその国の全体の性格の変化とを見誤ることになります。
 これら官僚集団は、古いロシアの封建的思想を土台にした官僚群であり、歴史の進歩に対しては反動的であり、資本主義発展を理解せず、民主主義に疎(うと)く、人民大衆をさげすみ、少数民族を差別し、かつ大国主義的であり、対外的には好戦的で、野蛮でした。

 再びレーニンの革命論

 レーニンの二段階革命論は、ブルジョア民主主義革命の目的達成は、2月革命において「出来た」としてしまい、また、残されている、あるいは民主的諸課題の達成は、本来は資本主義の発展の中で解決されるものですが、その課題は社会主義革命において達成することができるとの理論を編み出したところに特徴があります。
 しかし、実際は、この官僚主義の是正等の課題も、民主主義社会の成熟の中で達成されるべき課題であり、たった数か月間の激動期に、解消されてなどいなかったのです。
 ここに、レーニンの革命への「絞り込み」があります。
 とにかく社会主義革命なのだというわけです。

 私は、資本主義とは多様に発展し続けるものであり、政治革命は民主主義的諸課題を達成するためにある意味では永続的にその時代の水準に見合うかたちで起きるものだという考えにあります。

 レーニンの二段階革命論は、先に社会主義革命が目的としてすえられ、とにかく目の前にある「革命的情勢」を社会主義革命に転化していくのだという発想がみられます。
 レーニンは、この帝政時代以来の官僚群と一貫してたたかいつづけます。
 しかし、その官僚群が、まったく皮肉にも、ソビエトやボルシェビキの内部の幹部たちのなかにまで、入り込んできます。ソビエト=ボルシェビキ独裁形態は、官僚主義にとって最強で「魅力的」な組織形態でした。
 その集団が「一致団結して」、レーニンの時代の革命権力機関にはびこり、中央集権的な前衛党であるスターリンの共産党づくりの中核に「抜擢」され、またその後のスターリン型の国家体制づくりに官僚としての能力を遺憾なく発揮して、特異な官僚主義国家をつくり上げていったのです。

 ソ連型社会とは官僚国家

 したがって、ソ連型社会とは官僚国家のことであり、また、その国家建設の理論的支柱となった「マルクス・レーニン主義」とは、当時の有能な理論家や学者たちがつくったのですが、結局は官僚たちの作文ということになります。こうした言い方は乱暴に過ぎますか?。
 レーニンは、基本的には、民主主義を基盤とする社会主義社会を構想します。
 しかし、それは、すべての局面において、上からの半強制的な、あるいは権力的な方法でしか成立しませんでした。
 したがって結果として反民主主義的な方法で行うことにならざるをえませんでした。
 ボルシェビキは、そのために中心的役割を負います。後のソ連邦共産党の前身であるボルシェビキが、レーニンの上からの「社会主義社会化」の実行部隊となります。
 しかし、そのボルシェビキの内部では、本来主人公であるはずの革命を遂行した労働者や兵士、あるいは農民たちではない、その敵対物であったはずの、しかし「有能」な官僚たちが、「幅を利かす」ようになっていったのです。
 そして、やがては、レーニン亡き後のスターリンのもとで、極端に「完成」された官僚主義国家を造り上げていったのです。
 レーニンは晩年、この台頭する官僚群と官僚主義に対し「宣戦布告」し、せっかくの革命政権が異質なものに転化してしまうと警告を発し、熾烈な理論闘争を展開します。
 そのたたかいも、スターリンら当時の幹部たちの理解とするところにまで至らず、またボルシェビキに結集する人々の思想にまで定着することにもなりませんでした。孤軍奮闘といった様相を呈しました。

 さて、レーニンとボルシェビキの革命は、社会社会主義革命として権力奪取に成功しましたが、その権力はボルシェビキ独裁であり、結局は、時代の要求するところの民主主義的課題を一時期実行したものの、民主主義政治支配体制の確立は出来ないで終わりました。
 そして、あらかじめ構想していた「社会主義」を導入することはできなかったのです。』
「夢・共産主義−1」
 http://www.kitanet.ne.jp/~takashi/1bu-kyou/1bu-kyou-008.htm


「青共同」という、社会主義協会からの分派の情報をお借りする。

伊藤一
『 D、「民主主義革命」を規制の武器とするスターリン派と
   革命推進力とするレーニン理論

 日共などスターリン派の「民主主義戦略」は、“民主主義革命なしに社会主義革命を語ることは空論、極左である”という論理構造で、「社会主義革命」を押さえ込む武器として「民主主義革命」戦略を使用した。ここでは、「民主主義革命」は「社会主義革命」よりも前の、遅れた段階の表現である。あるいは、プロレタリアの要求をブルジョア民主主義の段階にとどめる性格をもつ。
 それに対して、レーニンは「二つの戦術」で、確かに、ロシアのような農民国家で直接社会主義革命に進むことは困難という言い方をしている部分がある。しかし、次の言及は「労農民主独裁論」を表現するより重要な部分である(引用は後ほど)。
 “もし、貧農の革命による前近代的農村の下からの変革を実現できないならば、上からの変革が進行し、プロレタリア革命運動は、西欧諸国同様の、おなじみの長く退屈な道を進まなければならなくなる”……等々。
 スターリン派の「民主主義革命戦略」は、プロレタリアに対して、小ブルジョアジーや民族ブルジョアジーを主体とする「民主主義革命」の段階に合わせよ、先に進むな………という性格を根本としている。それに対して、レーニンの思想は、プロレタリア革命以前に独立した革命性発揮の条件を持つ貧農の闘いによって、プロレタリア革命運動を後押しさせ、「長く退屈な」おなじみの道以上に(ある意味で、それより先に)進ませる性格をもつものである。』
 http://ngy1.1st.ne.jp/~ieg/ieg/inter/vol6-3/ito4.htm
 

 トロツキーについては、ネットでおなじみ(でもないか)の「まっぺん」という人から。
 
『党内民主主義・複数政党制か党内反対派禁止・一党独裁か
 トロツキズムにおいては党内民主主義が重要視されています。党内に二つ以上の異なった意見が存在する場合、それぞれの立場を尊重し、それぞれが党内分派を形成して大会や上級・中級・下級の各会議などでも意見を主張する権利を保証するということです。現在、第四インターナショナルの世界大会においても3〜4つの分派がそれぞれの議案文書を提出して議論に参加し、中央委員をそれぞれの人数的割合に応じて選出しています。また、労働者国家においては労働者階級の立場に立つかぎり複数の政党の存在は許されるべきです。
 世界の共産党・労働党は1921年のソ連共産党第10回大会決議を理由に党内分派を拒否してきました。しかし当時、帝国主義諸国の軍事干渉や反革命軍との内戦状態にあったという特殊事情下での緊急的決議であった事を忘れてはなりません。この決議を理由に政治的民主主義を否定するのは階級闘争そのものの発展をさまたげる行為です。
 
 トロツキズムか反スターリン主義か

 ここで説明する「反スターリン主義」(通称「反スタ主義」)とは「スターリン主義に反対する」という一般的な意味ではありません。労働者国家について、これを「スターリニスト国家」とか「赤色帝国主義」「官僚制国家資本主義」などと規定し、帝国主義国家と労働者国家とを全く同等な打倒対象と考える理論のことで、したがって各国共産党などに対しても帝国主義と同等の「階級敵」とみなす理論です。このような理論は数十年にわたって世界中に流行しました。日本においては黒田寛一の理論から出発した革マル派と中核派が反スタ主義の代表といえるでしょう。反スターリン主義の運動は共産党や他の左翼勢力にたいして敵対し、内ゲバをしかけることによって結局、帝国主義権力の側に利益をもたらすことにしかなりません。
 革マル派や中核派によれば、トロツキーは「ソ連邦においてスターリンとの党派闘争にやぶれた」のであり、スターリンに勝つためにはスターリンと同じ方法をもって対抗するべきだったのだそうです。しかし、もしスターリンと同じ方法をもって「党派闘争」を展開し勝利したとしてもそれは「反スターリン主義」という名の新しいスターリン主義権力が生まれるだけにすぎません。レーニンもトロツキーも決してそのような方法で「党派闘争」をやったことはありません。スターリン主義の打倒とは、スターリンのやり方そのものが否定されるのでなければ意味がないのです。』
「社会主義のお話2」
 http://redmole.m78.com/sosialism/sosialism2.html


 当時東京都学生連合副委員長であった蔵田計成、共産主義者同盟の分派の統括者となった人のようだが、こちらのエッセイを引用する。

『9, 以上の諸点をふまえた上で、要約的に問題を提起してみたい。

 第1に、階級闘争の場では政治党派をも含めて政治的諸集団が展開する活動のビヘイビアは、政治的ヘゲモニーの自己貫徹力として表現され、時として、その政治的貫徹力や貫徹性は、政治=革命権力の規模、立場性、内容の如何に関わらず、諸集団間相互の角逐、対立へと発展していく普遍的かつ特殊的要因を内包している。また、その限りにおいて政治的対立から派生する党内闘争、党派闘争、内ゲバ、粛清は、政治変革や革命を目指す政治党派が相互の政治的ヘゲモニーの形成・確立過程において顕在化させざるを得ない「潜在的矛盾」であり、同時に、これは止揚すべきものとして不断に問われるが故に、克服すべき重要な「止揚命題」なのである。

 第2に、政治変革や革命を目指す政治党派は、つねに変革・打倒対象との対峙・重囲関係を強いらており、党派自体はその体制との緊張関係のなかで、革命への求心性の度合いに対応しつつ、閉鎖的空間における支配力(閉鎖的空間性)を強いられる。
 例えば、どのようなミニ集団・組織・党派であろうとも、非合法軍事を目指す建党=建軍路線に手を染めた瞬間から、その党派は「ミニ国家権力」へと転化せざるを得ない。また、その瞬間から、自己権力=ミニ国家権力による内外へ向けた自己権力の行使に際しては、その組織の規模とは相対的に無関係に、権力行使や支配の形態、機能、組織のあり方や政治的思想的内実等が、理論的実践的両面から問われてくる。
 その場合、内に向けた団結の質においては、2つの選択の方向性を迫られる。閉鎖的官僚的支配力を強めることで自己権力の維持・拡大をはかるのか、逆に、綱領、政治路線、思想性の質を媒介にした人民との結合のなかに活路を求めていくのか否か、そのような方向性が厳しく問われる。とりわけ、人民との結合と大衆闘争に基礎を置くことを目指して、政治綱領、政治路線、戦略戦術の正当性に依拠しようとしない政治党派は、主観的意図に反し て、必然的に外に向けては独善的、セクト主義的、排他的な政治技術主義的手段を選択し、内に向けては官僚的締め付けや反対派の圧殺という安易な道を選択し、かつ連合赤軍のような粛清を演じることになる。
 同様な歴史の事例に事欠かない。例えば、ソヴィエト権力の維持・強化を至上目的としたロシア革命が、人民のソヴィエト・コンミューン的共同体性や伝統的ミール共同体性に依拠するという、プロレタリア革命の哲理に背を向けざるを得なくなるにつれて、ボリシェヴィキの主観的意図とは逆に、専制的権力支配というスターリン的手法への道を用意せざるを得なかった。
 その意味からすれば、その手法は「スターリン主義」という政治的イデオロギー範疇に帰属させるべきではなくて、むしろ、官僚制国家資本主義的イデオロギーの外化形態としての専制的権力支配であり、「スターリン的政治支配形態」というべきである。ロシア革命総括のキーポイントもこの点に求めるべきである。

 第3に、であるが故に、ロシア革命総括におけるスターリン的政治支配形態に対する批判は、帝国主義列強の世界的重囲と閉鎖空間における革命の維持・防衛・強化・発展を巡る党派闘争の問題である。また、スターリン的支配形態の根拠をスターリン固有の資質や論理に求めて、それを「スターリン主義」と規定して断罪してみても、それは無意味な解釈学を越えるものではないだろう。
 例えば、スターリンの「唯一前衛党論」はスターリン的支配をもたらした「要因」とみるべきではない。あくまでも、それはスターリン的専制支配のための手段として援用された論理であり、むしろ「結果」に過ぎないとみるべきである。だから、スターリン的政治支配形態はそれが「わが内なるスターリン的手法」の問題として、革命運動の深層に内在する「通有の陥穽」に他ならないとはいえ、それをたんなる「革命の宿阿」として受け入れるのか、それとも、越えるべき「止揚の対象」としての党政治綱領、革命路線、思想性の質にその派生根拠を求めていくのか、という総括視点の問題でもある。
 その好例が、「反スターリン主義者党」を固く自認していながら、容易に「スターリン主義者」「スターリン的手法」を演じるという革共同のパラドックスである。このパラドックスにみる歴史の無惨は、スターリン的権力支配をスターリン固有の反革命として批判・断罪するその主観的独善史観と、その裏返しとして、それが革命運動に内在する「通有の陥穽」であるという根底的認識を欠落させたために、厳密な自己対象化の道を自ら閉ざした点にある。
 そのようなロシア革命の総括やスターリン的手法に対して、誤った批判の手法を用いる限り、その歴史の敗北の中から真の教訓を引き出すことは出来ないし、ロシア革命の発展を押しとどめて、最後には革命を崩壊させた歴史の教訓を学び取ることも出来ない。 

10、すでに、新左翼創成から46年の歳月が過ぎようとしている。この現時点において何が問われているか。疑いもなく、その一つの課題は内ゲバ問題に対するケジメではないか。新左翼諸党派が日々刻んできた過去の激闘史の中から止揚すべき根底的問題点を剔出して、内ゲバ廃絶に向けた再生への道を模索する試みは、過去、現在、未来へと歴史をつなげるための至上命題として、いまもなお厳存しているのではないだろうか。』

「【追悼・第二次共産主義者同盟議長さらぎ徳二】旧き友への手紙」
 http://www.bund.ne.jp/tuitou-saragi-kurata.htm
 

 なんて書いていくと、お前はそんなプチブル雑派のことしか書かない。といわれるかもしれないが、おっしゃるとおり、私は人殺し共を相手にする気などはこれっぱかしもない。
 政治のために人を殺して偉そうな顔をしている生キモノ共と真理の話ができるはずもない。
 彼らは、自分で間違っているのを知っていても、彼らの組織のためには平気でウソをいい続ける生物なのだ。違うとは言わせぬ。お前のことだよ。

 それに対して、今この場所は、まともな人間しか足を踏み入れてはいけない場所なのだ。
 

5 結語

 だらだらと引用が続いた。
 結局、それぞれの言い分というものはある。しかし、過激分子の発生・台頭は、母体である左翼分子の賞賛の雲が必要であるのであり、逆ではないことを指摘しておかなければならない。
 いくら党派がしっかりして今生き残っている連中がいたところで、教条的に博物館の言葉を使ってスローガンを作っていては、労働者階級を統括する賞賛の雲など作れやしない、
 また、趣味を持つ組織指導者のうちどれが優勢なものとなるか、については、指導者が産業的であるか、軍事的であるか、知識的であるかは、それぞれの局面と、優勢な社会組織の違いによって差が出る。
 権力の行使が、どこに落ち着いているか、という点であるし、個別には、彼イデオローグの生命線がどこか、ということでもある。

 従って自称革命家の諸君は、自分がレーニンであること、毛沢東であることをまずはやめてもらわなければならない。
 それは別に君たちには内容がないとか、そういう話ではない。
 人は状況が作るものだ。
 レーニンたちがレーニンであり、毛沢東が毛沢東であったのは、彼らが国家権力を動かすべき位置にいたからだ。
 21世紀日本の状況で、これから状況を動かしていく人々が真似をするような位置ではないのだ。君たちマルキストは、当然そんなことは他人に言われる前に認識していなければならない

 たとえば、米騒動は、その後10年の人々に言わせれば、敗北の運動である。これにより、政府は反体制運動に非常な圧迫を加えた、と。しかし、今、これを革新の大運動といわない歴史家はいやしない。
 それは、担い手が実は大衆なのだからだ。当事者が何を言おうが、当事者の行動がどう制限されようが、日本社会の総体が左へ動けば、それが運動の勝利なのだ。
 
 そうだ、ここで、若い人々のために「敗北」の話をしよう。
 
 ある人が社会に働きかけているかどうかについての踏絵の石は、70年を闘った山本東大全共闘議長だと思う。
 彼の話を、理解できるかどうかが、別に左翼であるかどうかではなく、固い社会の壁を動かそうとしているかどうかの基準になる。
 つまり60年代後半の反体制派学生にとっては、「資本に奉仕する人間を作る工場としてある大学と、かくてつくられた権力の歯車たる未来をもつ学生存在への拒否」が自己の最優先の課題であったのだ。
(山本義隆「バリケード封鎖の思想」(『情況』1968年11月号))
「そんな出来もしないことを。プチブルが」「何をいっているんだ、トロツキストが」なんでもいい。出来ようが出来まいがしなければならないんだ。これに、とまどいではなく、反感を持つのは、まさに「(自称反体制)『秩序』のうえに寝る者、財産を所有する者」(同論文)にちがいない。
 すでに昨年述べたように、倫理はまず、この行為を要求するものである。
 たしかに行為を実現させるのは、ルンプロか学生だけかもしれないが、その現実が、評論家秩序の上に寝ながらケチをつける自称左翼の存在を許すわけではない。
 たとえ、70年闘争が敗北に終わったとしても。
 世間では、いまだに、敗北に否定的な価値を与える人間がいる。
 もちろん若い人間には何もわからないわけだが、それでは、いったい何のために学校があるのか。
 勝利しなければ、負けるしかないではないか。いつも勝利のなどしていたら、世の中の体制など幾つあっても足りない。

 もちろん、こういうと、オマエは学校に何を求めているんだ、とか、もうすでに前提も何も考えない、短絡思考、ないし、やっと昨日理解したことだからいってみました、みたいな発言をするやつがいるが、まあ、そんなガキは無視しよう(無視してないか)。
 とにかく、この世界先進資本主義国的に敗北を味わった現在、中年すぎの文化では、世の中は敗北で成り立っている、ときちんと認識がなされていると考えたい。
 その後の優秀な思想家、吉本隆明や田川建三が教えたように、われわれは敗北し続けざるを得ない。
 それを「かっこよく」賞賛的に構築するのが、思想家的売文業者の使命なのだ。そうした仕事を卑下する必要はない。

 まあ、ほんとうのことをいえば、世の中には、勝利も敗北もない。時間の経過があるだけだ。つまり、時間の経過による物事の配置の変化があるだけなのだ。勝利と喜ぼうと敗北と悲しもうと、そんなことは社会には関係のないことだ。
 のように、生きていると、自分の行動が社会には関係のないとしかいいようもないことも多いのだ。だから、いいかい、人は絶望せずに生きるのが正しいのだ。希望を設定するのは、社会ではなく、自分と、目の前の人間なのだ。

 余談終了、
 
 逆にいえば、今、目の辺りにする右翼の諸君の運動は、何も実ってないように見えて、社会主義者首相村山の時代から、この日本は左翼にとっては圧倒的に敗北を続けている。
 われわれは、「自分たちの」運動の敗北を恐れてはならないが、社会全体の敗北の時間経過は、きちんと状況把握しなければならない。
 
 
 
 3に戻る。
 今となっては左翼の主流を占める日本共産党の言う(もうやめろよ。左翼がバカにされるだけだ。西ドイツもアメリカの植民地なのか?)民族革命とは、何か。
 というわけで、次回は「植民地」である。
 レーニンの「帝国主義論」第六章における古典的規定としての植民地が戦後の日本にあてはまるか。古典的規定としての植民地は、いまだ国民経済を形成していない国なのか、
 レーニンの規定における半植民地または従属国も、資本主義の未発達な後進諸国であり、強大な帝国主義国家とはいかなる点からも合い争う力を持たないような国であるのか。
 そもそもそんな限定的規定がどこから出てくるのか。

 つまんなそう?
 うーん、言い方がね。
 
 でも、どう言っても、ある地域に住んでいる人間は、具体的なホフマン君でありフィツィッヒ嬢であるわけだ。現実の人間が生きていく話に、つまんないもへったくれもないわけです。
 



【植民地論 ―― または国家間関係の重要な1様態】

1 植民地規定と2段階戦略

 まずは、人が「植民地」を問題にするのはどういうときか。
 第1に、「国家が国家外の土地に進入し、そこに住んでいく、しかし、そこでの政治権力は元の国家にある」という事態での植民地である。
 いわゆる「入植植民地」である。
 この場合、入植した人々の意向や関心は、われわれの興味を引かない。この21世紀、われわれには、勝手なことをするんじゃない、という感想以外の言葉をもつ必要がない。
 一方、進入された地域の人々についてわれわれは何かをいえるか。
 残寝ながら、こうした状況では、単なる武力=権力的作法が問題となるだけであって、われわれは政治権力の網目をたぐって言葉なり武力なりを伝達するしかないし、また彼らも我々が問題としている課題の解決糸口を供給してくれるものではない。
 要は、どれだけ武力が強いか、どれだけ団結して侵入者にあたれるか、そうした戦争=闘争問題である。
 
 早々に余談のようだが、世界は、武力(ないし警察暴力)と生産暴力(生産方法の武力的擁護)によって構成されているのであって、暴力を毛嫌いするのはよいが、残念ながら暴力なしでは国家権力に対抗することも経済権力に対抗することもできない。
 といえば、それはそうかと思うかもしれないが、現実にそれを知っている者は、日本にはもう(ほとんど)いない。この世界、政治家はおろか資本家に暴力を向ける者などいやしない。
 過激派なる自称左翼が、宗教的な白色テロを重ねているのがなんともムダで自己満足まるだし、というところだ。今、いったい何人の資本家が、プロレタリアートを恐れているか。いいや、誰一人恐れていやしない。というか、それ以前に資本家だか過激派ネットワークだかわからないような世の中だけどね。
 テロリストはムダだ、が一方、テロルの脅威を持たない組織労働者も、なんの存在価値もない。 なんて昔の常識を言えば、私は超過激派といわれるのだろうか。
 
 閑話休題。
 
 人が「植民地」を問題にする第2が、統合的国家に対する独立国家の武力的脅威の下での経済的収奪である。
 この場合の前提は、当該国の、それ以前における「統合」である。
 具体的には、植民地化以前の国家としての成立である。
 入植植民地のような侵略国の開拓的移住には、その過程に暴力が伴うとはいえ、被征服国の個別な共同体を征服しているのみの時点では、ここでいう植民地とはならない。それは居住者にとっては明白な侵略だが、住んでいない者にとっては、侵略国の、面積拡大でしかない。
 
 ここで、植民地域の国家的統合といったが、これは内容的には、植民地域人民の被支配状況をいっている。植民地域では、侵略以前に、国家的支配―被支配の現実があるということだ。
 (ここで「なんでさ」、という感想もあるでしょうが、すいませんが先にいきます。ちょっと気力を節約したいし、その説明は私でなくてもマルクス主義者なら誰でもできるので。問題は、マルクス主義者など指の数ほどしかいない、というところですが)
 侵略国家とは別に、一方での植民地の、人民を被支配とさせる共同性の残存が、植民地の定義の条件である。ある国がその国全体として被支配と化すべき現在的条件は、それ以前の支配の存在であり、この支配の現存が、侵略国に対する共同性を成立させる。
 この要因によって、植民地は、侵略国家に対し、全地域をあげて「ナショナリズム」を現象させる。第三者的評論家は、侵略国に対する挙国的抵抗にこうして民衆的側面を見出すことができる。
 ナショナリズムとは、個人の行為の範囲について、その他の個人の範囲が重なる際に、国家の権力が国家統合を指示して生み出す優越と賞賛を取り込んだ状況を意味する。
 ナショナリズムの本体は、行為論的な「「行為と意義の」範囲」である。
 すなわち、人は自分の行為によって意義が得られる範囲に対して、たとえば心配をし、たとえばそれを行為に移す。
 ナショナリズムは右翼イデオローグによって「愛国心」とも表現されるが、愛国心等の心があるのではなく、自己の行為の範囲について、風聞的な、あるいは遠くから来た、他者による影響の、情報を受けたときに、これに対応する行為の姿勢である。
 このとき、社会的に協同的な他者から賞賛・優越・生理性に関わる問いかけをなされると、この行為の姿勢が情報化され「愛国的」表現の外観に結実するのである。
 心があって行動が起きるのではない。そんなマルクス主義的イロハを、自称左翼の諸君さえ気づきはしないのだが。
 
 図式化しよう。
 植民地において、侵略国(辞書では宗主国という)の武力には植民地国家はかなわない。が一方、侵略国もあえて戦死人をだしたくはない。
 かくて、団結した植民地国家に対しては、まずは、侵略国に恩義のある権力者に政治権力を譲る。どんな植民地国家であれ、権力者は甘い汁を吸っているのだ。
 そこで国家権力への道を手に入れた植民地人民は、そこから政治権力の奪取を図る。
 それが成功するかどうかは別にして、これが2段階戦略の現実的事情だ。
  
 もちろん例を挙げればいいのだが、そしてアフリカ諸国を例に出そうと思うのだが、どれも記述が長い。スキャナーでちょこっとというわけにいかない。
 で、一方、思うのだが、気いれてそんなことを転記しても、真理に届く者が増えるわけでもない。反論したいやつはするし、納得する方はするし。
 で、省略して、たとえば、の参考文献を挙げておく。もちろん、なんでもいいのだが。
 中村弘光「アフリカ現代史W」山川出版社、1982.
 で、とりあえず逃げといて、といって、本読まなきゃわけわかんないというのは失礼だ。このページのみなさんには雰囲気を感じてもらうべく、参考に、webにあった記載をそのまんま載せておこう。
  
  
2 植民地の独立運動経過の例

「1958年、コンゴに隣接するフランスの諸植民地が続々と独立を達成した。それらの諸国は外交や軍事に関してはまだ完全な主権を有していた訳ではなかったが、それでも、特にフランス領コンゴの独立はベルギー領コンゴの独立運動を刺激するのに充分以上であった。
 ところが、コンゴはもともと各地に散在する部族ごとの独立性が強く、諸部族が連合してベルギーに対抗することが出来なかった。当時のコンゴには、次に述べる3つの有力な独立運動が存在していた。
 まず「アバコ党」ジョセフ・カサブブによって創設されたこの党はバ・コンゴ族を中心とし、コンゴ全土ではなくバ・コンゴ族の居住する地域のみの独立を指向していた。
 次に「コナカ党」指導者はバ・ルンダ族のモイゼ・チョンベ、バ・イエケ族のゴデフロア・ムノンゴその他、コンゴ南部のカタンガ州諸部族の連合体であり、カタンガ州単独の独立とまではいかないまでも、来たるべき独立コンゴの国家体制は、中央集権ではなく地方分権の連邦制が望ましいと口では唱えていたが、実際にコンゴが独立した後はカタンガ単独独立へと突っ走ることになる。
 最後に「MNC(コンゴ国民運動)」指導者はパトリス・ルムンバ、アルバート・カロンジ等がいた。若く教育のある彼等は、部族・地方といったレヴェルを超越し、コンゴ全土の中央集権的政権の設立を訴えていた。

 そして1959年1月4日、コンゴの首都レオポルドヴィルにて、植民地政府がアバコ党大会の開催を禁止したことから大規模な暴動が発生し、事態の深刻さを悟ったベルギーも遂にコンゴ独立を承認する動きへと踏み出した。ベルギー本国の労働組合や左翼政党はコンゴ独立を支持し、ベルギー憲法の「軍隊を植民地に投入する場合には、志願者に限る」という条文を楯にとって、ベルギー軍の兵士達にコンゴ派兵に参加しないよう協力を呼びかけた。
 こうなってはしかたがない。ベルギー政府はとりあえずコンゴの独立派諸派を集める「円卓会議」の開催を宣言した。ベルギーは、コンゴの独立派3派の意見がそれぞれ食い違っていることをよく知っており、そこに付け込む隙があると考えていたのだが、60年1月24日に始まった円卓会議では、なんと3派結束してのコンゴ全土の完全独立を求めてきた。ベルギー側の思惑は完全に見破られていた。本国の軍隊も動かせず、国連に調停してもらうのはプライドが許さず、ベルギーはやむなく独立派の要求を全て飲み、半年後のコンゴ独立を承認した。
   
   コンゴ動乱の勃発
 1960年6月30日、コンゴは正式に独立した。しかし問題は山積みであった。アバコ党・コナカ党は地方分権の連邦制を主張し、MNCは中央集権を唱えていた。一応国政選挙ではMNCが勝利したが、単独で政権を持てる程ではなかったことからアバコ党・コナカ党を含む連立政権の組閣を余儀なくされた。大統領はアバコ党のカサブブ、首相はMNCのルムンバがそれぞれ選ばれた。問題の国家体制も、大枠では中央集権制であるが、各州が独自の州政府と州議会を持つ、という甚だ曖昧なもので、特に強硬な地方分権論者(どころではない)コナカ党首兼カタンガ州首相チョンベに至っては、この時点ですでに地元カタンガ州の分離・独立を狙って動き回っていた。

 軍隊も問題であった。独立前に駐留していたベルギーの植民地軍は、白人の士官がアフリカ人の下士官・兵を指揮するという形をとっていたが、独立後の新生コンゴ軍は、この植民地軍をそのまま引き継ぎ、士官もそのまま白人ばかりであった。(コンゴの独立派は独立戦争で独立を勝ち取った訳ではなく、したがって独自の兵力も持たない彼等の軍事力は旧植民地軍以外になく、アフリカ人の士官を養成する時間もなかった)

 独立1週間後の7月6日、アフリカ人兵士の不満が爆発し、白人士官・ヨーロッパ系住民(約10万いた)への略奪・暴行が首都レオポルドヴィルからコンゴ全土へと広がった。

 すぐにベルギーが動いた。ベルギーはヨーロッパ系住民の保護を理由として7月10日には数百人の部隊をコンゴへと投入し、いくつかの軍事拠点と空港を占領した。ベルギーの一方的措置にコンゴ首相ルムンバ(MNC)は激怒したが、実はベルギー軍の行動はカタンガ州首相兼コナカ党首チョンベの要請によるものであったとの説もある。

 そのチョンベは7月11日、突如カタンガ州の分離独立を宣言した。かねてからカタンガ独立を策謀していたチョンベにとって、今回の軍の暴動は願ってもない好機である。「現在のコンゴ首相ルムンバは実は共産主義者であって(嘘)、現在の軍の暴動はコンゴからヨーロッパ勢力を追い出すための彼の陰謀(これも嘘)である。カタンガ州はかような中央政府による強権に対抗するのだ」。鉱物資源の豊かなカタンガ州はコンゴから分離しても充分自活出来る。とりあえずは暴動の責任をルムンバのコンゴ政府に押し付け、カタンガ在住のヨーロッパ系住民を暴動から守ることによってベルギー・欧米諸国を味方につけることだ。カタンガ州でも軍の暴動がおこっていたが、チョンベは自分に好意的なカタンガ諸部族から兵士を募るとともに白人士官を味方につけ、早急に(カタンガ州内の)暴動を鎮圧することに成功した。カタンガ在住のヨーロッパ系住民(約3万5000人)はルムンバのコンゴ政府よりも、チョンベのカタンガ政府の方が頼りになると考えだし、ベルギーの右翼勢力もカタンガ独立支持へと傾いた。欧米諸国はカタンガの独立を認めることを躊躇ったが、影でこっそり支援する国もあったといい、ベルギーもまた、カタンガの独立を承認することはしないが、出来る限りの援助を与えると言って寄越した。 」
(http://www.kaho.biz/congo.html)
 
 
 以下、そんな雰囲気というわけだ。権力奪取後のヴァリエーションは、その国次第だ。そういう状況の国もあった、ということだ。


3 国家暴力と侵略形態

 ここで、もう一つ、事態の把握のための図式を提供する。
 支配状況の図式は、
 被支配人民―これを支配する要素―支配者
 となり、この支配要素をめぐり侵略国が介入する。
 従って、仮に支配要素が一方的に侵略国に略奪される場合は、支配者にも被支配者にも不利益がありえ、侵略国の植民地化は挙国的要素となる。
 あるいは、支配要素について、支配者―被支配者の仲介をするような侵略の仕方は、支配者には、その限りで侵略国も支配に関し不可欠の要素となる。
 同様の事情が、侵略国を被支配者に利するようにも機能しうる。
 植民地にあったモザイク的権力機構、これが問題を侵略国に利するように機能する。
 まあ、実際、被支配者にしてみれば、相対的にマシな場合も生ずるのだ。
 もちろん一般に、支配要素が侵略されることが侵略なので、別にこの図式それ自体が因果連関を発見しているわけではないのだが、裏はこうなっているという確認のための図式である。
 だから、帝国主義的侵略は、資本主義であるから、「支配暴力」と「カネ」をめぐる侵略である。
 ここで、問題はこの支配暴力の組み込みの「度合い」であって、カネさえめぐればどんな因果関連も、国家構成員にとって侵略と認められるかといえば、そうではない。
 資本主義経済の法則的把握は、この「カネ」をめぐる問題であって、支配暴力は、経済法則では測れない。すなわち、植民地的侵略は、植民地規定は、法則上は「現象的規定」にならざるを得ないのである。

 では、資本主義経済の法則的経過において、支配暴力について、どんな現象形態が植民地的侵略を侵略として成立させるかといえば、先の図式により、それが人民支配の要になっている状態となる。国家権力の暴力的掌握は、国家的統一がなされ、「現今の歴史的関連において」その国が侵略国にとってその国である所以がその国の「カネ」規定である場合には、不要である。侵略国は、商品輸出、資本輸出により満足することになる。
 一方、暴力的に統括されている国家については、その暴力を引き継がない限り、「現今の歴史的関連において」その国が侵略国にとってその国である意味は達せられない。
 だからといって、人民にとって従来の支配者と侵略国のどちらが権力者でも同じだ、というわけではもちろんない。
  支配権力は、自分との行為共同性において、人民個人に賞賛と優越を提供する。

「チュニジア人、アルバート・メムミはいった。
「植民地化されたものがこうむった最大の打撃は、歴史から、人類社会からはずされていることである。コロニアリズムは戦時、平時を問わず、全ての自由を、自分と世界の運命に寄与するすべての決定と全ての文化的・社会的責任を奪い去る」

 自立的に行動する権力こそは、歴史への積極的参加を保証するものである。植民地化されるということは、きわめて受動的に歴史へ参加させられる場合を除けば、歴史から疎外されることを意味する。」
 ウォルター・ロドネー「世界資本主義とアフリカ」北沢正雄訳、柘植書房、1978.p268

 多少文学的な物言いだが、政治権力の侵略による喪失は、たしかに青少年への目標を確保できず、自国の文化・規範・従って賞賛を、優越を、喪失させるのである。

 では、国家の政治権力とは人民にとってなにか。
 次第に、国家システム論に近づいてきたところだが、その前に、前回ご覧の読者は見覚えがあるかもしれない、もう一つの60年安保の「革命戦略」議論、『労働者国家』論なるものを見ておく必要がある。
「今さらそんな死んだような議論なんて」と思われるかもしれないが、そういう発想はいけない。総括をしないで流れにまかされるから、永遠の誤謬と一瞬間の左翼諸氏が巷に溢れるのだ、ってもうみんな墓場の中か。もとい、右翼にも役に立つのが本当の社会科学だ、次回は右翼の皆さんもどうぞ。




【組織のイデオロギーと組織が持つ社会連関】
「労働者国家論」をめぐって


 さて、今回は60年安保当時、左翼の一角を占めていたトロツキストグループのソ連への評価である「労働者国家論」について、である。一角を占めていた、というと当事者は不満かもしれない。実際、戦後の左翼運動は、全てがここから始まった、といったほうが適切な場合もある。日本共産党系でない左翼は、全てトロツキストといわれたものだ。
 60年にフラッシュバックすると、片方に「二段階戦略」を唱えることで国会による解決を標榜する日本共産党がいて、片方に人民による直接行動を唱えるその他がいたわけだが(あと分類不能な社会党というのもあったが)、この「その他」の中身が、市民民主主義派、急進行動派(ブランキストと悪口のつもりで呼ばれる)、即時革命派、そして即時革命派を生み出した残りの「ソ連を筆頭とする労働者国家」と連帯しつつ国際革命を志向する派がいた、とも分類しうる(実際はややこしく四分五裂していたようだが)。この最後のグループの主張である。
 
 
1「労働者国家」とは何か
 

 革共同第4インター主流=加入派の主張は、「ソ連労働者国家無条件擁護・官僚制打倒」だった。
高沢皓司、高木正幸、蔵田計成著、「新左翼二十年史」新泉社、1981、(P59)。
 
 現在も残っているその派の直系的HPより。
 
「第1回(革命的共産主義者同盟の)全国大会は59.8月に開催された。大会の主要目的は綱領の確定にあった。5月に発表された綱領草案は「前文」と「第一節 根本任務」、「第二節 過渡的要求の綱領」によって構成されている。綱領論争は黒田グループとその他の間でたたかわされた。黒田の批判は相変らず反帝反スタ論からのトロツキズムへの難ぐせであった。綱領草案の前文をめぐって黒田は西批判を行なった
 綱領草案はその前文において世界革命を有機的に構成する三セクターとして、帝国主義先進国における革命、植民地革命、ソ連圏における政治革命をあげている。この綱領草案に対し、黒田は、「植民地革命の無条件擁護」と「労働者国家の無条件擁護」に反対する。それは、黒田の反スタ論からの当然の帰結であるが、第四インターナショナルとわが同盟にとって、「今日帝国主義とたたかい民族的解放をめざす一切の植民地革命をわれわれは無条件に支持する」ことと「われわれは革命によってかちとられた巨大な成果、労働者国家を帝国主義の攻撃から無条件に擁護する」(綱領草案)という原則は反スタ主義者たちにゆずり渡すことのできない決定的に重要な原則であったが、黒田はまさにこの点に攻撃を集中した。
(中略)
 歴史上、労働者国家を防衛しないで世界革命の利益を防衛できるという経験をわれわれは知らない。トロツキーは労働者国家の擁護は決して「スターリニスト官僚擁護」にはならないことを口を酢っぱくしていっているではないか。われわれは世界革命の利益のために労働者国家を防衛するのである」
http://www.gameou.com/~rendaico/sengogakuseiundo_5_hosoku1.htm

 若い人にはよくわからないでしょうが、ここは革命運動論の講義の場ではなく、実際に起こった現実から自分たちの未来を形成する方法を作り出す場なので、古い論議は雰囲気だけで。
 ちなみに、これを新しいロシアに適用すると以下のようになるようです。
 
「トロツキズムの立場からは、労働者国家の真実の改革は、官僚支配体制を打倒する政治革命なしには、問題になりえない事柄であった。今日、全労働者国家官僚体制の頂点に立つクレムリンの指導者の呼びかけから、まさに「上から」、真剣な、後戻りのできない改革が始まっているのである。
 改革の真の主人公は大衆で、その強大な圧力につかまれたゴルバチョフ一派が、しぶしぶ、たえず値切りながら、ペレストロイカをやらされている、というふうに事態を評価することはできない。大衆大多数は未だむしろ消極的である。たしかにゴルバチョフ派の左には急進的改革派が存在しているが、この部分を客観的に庇護しているのは、ゴルバチョフ派であといえる(ママ)。」 
 http://www.interq.or.jp/leo/sinter/old/soukan.htm
(1989年8月現在)

 前書き終わり。
 
 とりあえず、ここでは、ソ連が労働者国家だろうがなんだろうがどうでもよい。問題は、そんな規定は、諸国家の林立する時代にあっては、他の国家人民にはマトモな意味を持たないということがわかっていない、ということである。
 もともと国家は、共同性と権力の複合体なのであり、「労働者国家」という規定は、国家間の実体的関係においては、仮にそれが正しかろうが、ただの通り名や雅号にすぎない。
 労働者国家だろうが、他の人民を殺さないわけではない。「いや殺さない」というのならソ連はもちろん労働者国家ではない。それがさえわからないようなやつとは論議はムダだからしない。まあ、中にはわかるやつもいるだろう。
 国家というのはそういうものなのだ。これを個人が「労働者国家だから応援しよう」などと思うのはただの立場の表明で勝手にすればいいが、そんな思いは遊び友達にだけ持っていればよいのであって、組織の意見として言うことではない。
 なぜか、が、今回の問題の第1である。
 
 
2 組織とスローガンの作成

 組織の表明と個人の表明とはもともと異なったものだ。
 組織と個人の相違は、その権力性にある。
 組織は、これに向かい合った個人にとっては、実体を持たない社会である。
 2人で勝手に作った「社会主義労働者同盟」は、個人にとっては3万3千人社員を擁する「三菱重工業」と同じ組織である。
 ある個人は他の個人(友人、通りすがりのチンピラ)に対しての行動を知っているが、組織に対する行動を知らない。ある組織はおべんちゃらを言い、ある組織は拳銃を持ってパトロールする。
 個人にとっては組織は永遠の謎である。
 もちろん一人で組織を作ったってよいのだが、他人にとってはその組織は1人ではない。
 他人はその組織が1人であったと知ったときに全ての興味を失う。
 
 そうした、組織が言う「労働者国家擁護」は、個人にとって、ソ連は擁護すべき対象以外の何ものでもなくなる。(そりゃそうだ。そのまんま、だし)
 ここで、日常生活を営む個人にとって、国家は権力の塊であり、ましてやソ連などという国家が日本にすむ1労働者である私のことで何かをしてくれるわけがない。
 従って、そんなスローガンが通るのは、毎日各国のトロツキスト官僚と戦略を討議している組織幹部以外にはない。
 なんか当たり前すぎてわざわざ私が書くことでもなさそうだが、前半の定式化が大事なのです。
 (それにしてもだ、労働者国家だっていいこともすりゃ悪いこともする。あたりめえだよ。今となっては国家下部人民に聞いてみる必要もあるまい。全然調べてはいないが、フルシチョフ以後だって何十万もの人民が国家に殺されたはずだ。まあ、何万でも一緒だが。しかし、しかしだ、第4インターさん。評論家や過激派諸君みたいに、逃げないでくださいよ、あなたが労働者国家を擁護しろといったんだから。状況なんて何も変わってないんだよ、なんにも。誰ももてはやしてくれなくなっただけでさ)

 まあ、どうだっていいや、組織は個人主体の行為にとっては社会と同じだ。対象となりえない「なにか」なのだ。個人が知っているのは、それは社会と同じに、自分に権力を振るいうる何かであり、一方、自分の行為では、その変更将来の見えない何かなのだ。
 そうした組織の発言は、個人の発言とは異なり、発言内容として自立して個人に向かう。


3 思想の構成とスローガンの作成

 第2点である。
 別にこの派に限らないのだが、思想の構成というものがわかっていない。
 思想は、自らが思い他人を引きずり込もうとする最高地点を述べるものだ。ソ連擁護が最高地点となる思想に、他国家の人民が乗るわけがない。
 もちろん、思想がわかっていない同派の諸君は「そうではないのだ」と自分がスローガンを打ち出した理屈を述べるだろうが、そういうことをいっているのではないのだ。「そうではない」ならその理屈を最高地点にすえなければならない、思想とはそういうものだ、といっているのだ。
 
 前のシリーズ「今月の話題」2月分をご覧いただきたいが、まず第1に、思想とは単なる自分の考えや価値観ではない。これを他人に押し付けるときに思想となる。
 たとえば、この時期正しい自分への倫理を打ち出し、その後の若者に大きな影響を及ぼした若き黒田寛一は、残念ながらこの倫理を思想として他人に押し付ける際の限界をわきまえることができなかった。
 
「ほかならぬおのれ自身が現在何をなすべきかという最も主体的な問題をカッコに入れた無責任な言動をなすものに対しては、ただ革命的プロレタリアートの鉄槌だけがのこされているのだ。
 いまこそ革命的プロレタリアートは、血ぬられたスターリン主義から訣別し、」云々。いまこそ血ぬられた革マル主義から訣別しないのか、と思うのが普通の人間だが、まあ普通じゃないことはみんなわかってるからいい。
黒田寛一「プロレタリア的人間の論理」こぶし書房、1960.(P12)
 
 このとき、思想は
 第1に、他人にとって、論理の最高拠点をなす。
 あるいは、それ以外の意義をもたない。
 
 およそ、個人行為者は、自分の次の瞬間の将来にしか興味を持たない。
 労働者国家を擁護しようが、安保粉砕をしようが、そんなものは行為ではない。そんな行為は世の中に存在しない。従って、人は自由自在にこれを受け入れることができる。個人行為者にとって問題なのは、今夜デモに行くかどうか、明日労務課長のところへ賃上げ要求に行くかどうか、それだけだ。
 このとき、どんな思想をとろうがそれは自由自在だ。ただ、デモに行くことを推進するものであれば。
 まず、個人行為者には、思想ではなく状況が先にあるのだ。
 しかし、その思想は、これを使用する者にとっては行為のとりまとめなのだ。
 個人は、行為の際に思想を携えてそこから得られる賞賛を食っていかなければならない。
 反戦デモには、「自分が人間だから」嫌々ゆくのだ。賃金交渉には、「労働者のために」嫌々ゆくのだ。
 もちろん、実際は、組織のAがうるさいからいくかもしれない。組合の役員たる責務でいくかもしれない。
 しかし、人間は状況を論理で得る。得ざるを得ない。状況認識は一貫しているからこそ使用しうるのだ。
 かくて、思想は論理の最高拠点をなす。
 そのとき、ソ連のために生きる日本人民などいやしないのだ。
 
 労働者国家擁護? そんなものはトロツキスト官僚の自己満足の弁にすぎない。世界のトロツキスト官僚仲間の会議でなければ通じない論理拠点なのだ。人はとりあえず友人の活動家が誘うから一緒にデモに行くかもしれないが、そんな思想が力を得ることなどありはしない。
 
 これに対し、黒田寛一の先のごとき倫理の思想への転化は、学生に対してこの価値拠点たる意義を十二分に発揮するものだった。
 もちろん、科学的には間違っているのであって、人間にはまず状況が先にあるのだ。自分が何をなすべきか、って、それは生きるためにカネを稼ぐべきなのだ。およそ、働いたことのない組織官僚には理解できないことなのだろうが。労働者の生き方が自分の生き方と違っていることに文句をいっても、そんなものはプチブルの愚痴にすぎない。
 なんていうと、政治屋諸君は、偉そうなことを言って資本主義を肯定してるじゃないか、このスパイ野郎、とかいうんだよね。どうせ何言ったって、自分への批判は悪口で返しゃそれで済む、と覚え込んでるんだから、相手をする気にならん。
 だいたいスパイとか何とか、ほんとに全労働者は自分の部下だとか思ってんだよね。ほんものの労働者は、この私K一人であり、また、隣りの労働者B一人だ、というシンプルなことがわかっていない。我々労働者には政治屋の存在など余計なお世話なのだ。
 
 
 閑話休題。
 思想の構成の第2は、実際に行為をするときにそこから得られる賞賛と優越だ。思想は賞賛と優越をもたらすものしか力を持つことはない。
 さっきもいったけどね。論理の拠点としての思想を遂行したときに、人は賞賛や優越を得られなければならない。
 現在の日本では、マスコミで誉めそやされ、あるいは会社で誉めそやされ、生徒仲間で有名になることだ。
 そして、この賞賛と優越は、国家権力・対抗権力・生産権力によりもたらされ、下部構成者に滅私奉公の悦びさえ与える。
 思想の本体はこの層なのであり、人間は、この第2層の意義が行為から喪失すれば、価値の拠点を売り渡すことができる。まあ、変更することができると表現してもよいが。
 組織から離れた活動家は、だからといって左翼なんだろうから、別に一人でデモをすればいいのに、そんなことはしない。あまつさえ、社会主義さえ放棄する。何が変わったのか? 社会主義が現実に敗れた? スターリニスト国家なんかハナから認めなかったろ? わけわかんねえよ。
 
 思想の本体はこの第2層であるにもかかわらず、論理の拠点を無くした瞬間、思想は死んでしまう。
 
 黒田ではないが、人が人間であろうとする限り、決して手放してはいけないものがある。
 支配を否定する未来への方策だ。
 これを失う限り、人は支配のいうがままだ。
 当たり前だ。支配は支配階級を貫徹しているだけでなく、被支配階級をも貫徹しているからだ。被支配人民の自由きままな賞賛行動は、支配を貫徹強化させる。こんなことは私が言うまでもない。
 支配を否定する将来を自己から外しただけで、もう人は支配階級者だ。支配、すなわち国家権力の肯定と、生産関係の肯定だ。人はこの前提を飲み込んだとたん、何を言うこともできなくなる。それが支配階級社会というものであり、資本主義社会というものだ。
 いや、言うことはできる。自分たちの首を締めることだけを。人民のために働くこともできる。そしてそのことで、人民支配を強化できる。懐かしいですよねえ、こんな真理は60年にはもう日本では確立していたのに。40年でチャラだ。
 資本主義の原理、すなわち、働けばそれが手に入る幻想、あるいは働かない者は社会に貢献しない、という、社会幻想。すなわち、労働対象物が「手に入る」というなどというのは子供のような幻想だ、「社会」なるものが社会に存在するという、そんなものは幻想だ、という、新左翼といわずとも社会党系列の思想倉庫には潤沢にあったはずのそんな真理がかなぐり捨てられていく。


 第3に、思想にはこれを受け入れる基底的状況があって、はじめて息吹を得る。
 基底的状況とは、行為をなすときに、個人は、どんな反応を外界に期待するか、という体勢をさす。
 熊を狩りに行くときは、人は一歩一歩空気の匂いを嗅ぎながら歩いていくだろう。獣臭い匂いを期待して。
 人が困っていたら助けなければならない、という道徳は、困った者だらけのアフリカの村々で育った人間には次の行為の期待にはなりえないが、そこそこ食える人間が1ヶ月に1人の乞食に出会う状況なら、十分次の行為の期待となりうる。
 
 若い人にはわからないだろうが、子供たちが教えられるその頃の大衆的道徳はこうだ。
「勇気だ力だ、誰にも負けないその意気だ。ヤッ! 
 白いマフラーは正義のしるし その名は 、、、
 (平和の敵は目の前だ ヤア!)」
「二丁拳銃 火をはけば 悪者最後の 時なのさ。ゆくぞ! それ!
 正義の少年 、、、
 (知恵と勇気の 進くん 平和の世界を 作るのさ)」
「雲か 嵐か 稲妻か。平和を愛する人のため 両手を高く 差し伸べて 宇宙にはばたく 快男児 おお その名は 、、、
 四次元の世界を克服し 不可能を可能ならしめ あらゆる科学兵器より強く 正義と平和の為に戦う」
「8823謎の人 8823海底人 正義の勇者だ 、、、
 8823謎の人 8823海底人 平和の使者だ 、、、」
 
 戦後、朝鮮戦争により日本経済が復興し、安保闘争が始まるとき、日本大衆はこうした文化をもっていた。
 ここでは、正義と、正義へ向かう力と、それを担うべきエリートという規定が明確に示されている。

 まあ、今回は論点にならないが、重要な点ではあるので書き留めておく。


4 国家資本主義規定

 さて、縷々(るる)述べてきた「労働者国家」論に対して、彼らの元仲間たちは、「ソ連は国家資本主義である」と言い出した。
 ちょっと淋しいのは、なんかうちうちの兄弟ゲンカに口出してるみたいで、ばかみたいだな、という気もすることだ。実はみんな本気じゃなくて、まともに相手してる私がバカなのかも、、、、

「 確かに形式的には生産手段は国有化されているわけですが、まず農業におきましては、革命の直後土地を農民に与えたわけで、小農的生産が支配的になった。あるいはスターリンが共同化しましても、スターリン自身が言ってますように共同所有(グループ所有)なのだ、国家所有じゃ無いんだという形であるわけです。あるいは企業を見ましてもネップの時代の独立採算制で、個々の企業として経営単位或いは経済単位を位置つけるというのはスターリンの体制で否定されているかと言うと、やはり否定されていない、企業体としての形をのこしておるわけです。
 これは自由化の中でますます明らかになってきましたし、最近の中国の経済改革の中では、個々の工場単位を取ってみましても企業としての運営が公然と行われるような形になって来ております。
 そういう状況を見ますと共同体社会といえない――形としては国有化されております、しかし共同体社会と言えないような経営のありかた、あるいはもっと究極的にいえは労働のありかた、私的労働として支出されている、そういう体制であると考えざるを得ないわけです。
 個々の企業を取りましても資本主義的経営が何か計算のためにだけ行われているというふうに言われておけますが、単にそういう機能的な形でですね、最初はそういう形で出てきたかも知れないが、実際運動している中ではどんどん資本としての内在的な本性が出てくるような形で動いて来ている。
 たしかに露骨なブルジョア的関係は1920年代後半、スターリンによって否定されていく。或いは中国におきましても色々ジグザグがありました。劉少奇なんかが出てきまして経済自由化の政策をやる時もあれぼ、或いは引き締め的政策を申る時がある。文革の後はケ小平がでてくると言うようなジグザグはあったし、これかちも全然有りえないと勿論言えないわけですが、しかし仮にスターリン的な非常に今の自由化を否定したような形での経済運営となっても、――スターリン自身は形式は商品生産なんだ、形式だけだと言っていますが――そういう“企業”としての形撃を残して運営されて来ているし、これからもまた運営されるだろう。
 そういう全体を含めまして、私達は、ソ連や中国を(現代の“社会主義”国家を)一種の資本主義的な社会・資本主義社会というふうに評価すべきである、と考えるのです。」
  
(国家資本主義の概念とソ連、中国の体制について)
1985年1月13日 『変革』第33号 林紘義
http://homepage3.nifty.com/mcg/mcgtext/kokkasihon/kokkasihon.htm
マルクス主義同志会


 さらに上記のグループに反対する元仲間のグループもいて

「 ソ連のように、基本的な生産手段が国有企業と国有農場(協同組合企業・コルホーズも国有工・農場を補完していた)という形態をとり、その管理・運営を党と国家の官僚が独占し、あらゆる決定権を奪われた労働者と農民を構造的・継続的に収奪する社会では、生産手段は実質的には国家資本として機能する。こうした社会は国家資本主義といえる。こうした体制は、直接生産者自身、すなわち労働者自身が生産や分配や消費全般を管理・運営する本来の社会主義とは対極にある社会である。」

「 ソ連では基本的に国家が生産手段の唯一の所有者であり、国家そのものが労働者・農民の搾取・収奪システムの当事者となっていた。国家は上部構造であるばかりか、下部構造そのものでもあった。そこでは労働者は国有工場や協同組合工場(国営農場・集団農場を含む)との雇用・労働関係によって経済的な従属関係に置かれると同時に、その雇用・労働関係も国家による統制と直結していた。いわばソ連社会は、資本所有によって労働者を搾取・収奪するばかりでなく、国家の統治権によっても直接搾取・収奪される社会、すなわち経済的な搾取と政治的な支配が分離されていない前資本主義的な社会であったともいえる。これはちょうど「たった1人」のではないが「万能の国家」の下にすべての人々が隷属する、アジア的共同体の進化形態としての「総体的奴隷制」に類似の性格を併せ持っている、ともいえる。」
 
http://www.workers-2001.org/iijimakoltukasihonnsyugironn.htm
 (飯島広)
 
 どこが違うの、とか聞かないで欲しい。
 所詮、組織間のあつれきなど他人には分からないばかばかしいことばかりだ。
 
 いずれにしても、要するに、ソ連では商品経済が広く見られること、そして国家官僚が「資本家のごとく」人民の上に立って支配しているから、『国家資本主義』である、というのだ。
 そういう現象的なことを言ってていいのかなあ、という気持ちがするが、他方「遅れた社会の歴史的段階は資本主義を通らざるを得ないのだ」という「本質規定」(かどうか知らないが)もあったりして、なんともよくわからない。
 所詮、組織のスローガンなど他人には分からないものなのだ。
 人は、同じ状況を見てこれを「国家資本主義」とよび、また「国家社会主義」と呼ぶ。
 そんな事態になにか意味があるとしたら、それは個人の状況判断ではなく(あやうく個人の経歴的偏見というところだったが)そんな規定を生み出す彼の基礎理論(の有無)だけだ。
 だからさ、そんな自由きままな規定でケンカすんなよ。と思うのだが、他人に口出されるのが一番迷惑だったりもするかもしれない。
 

 まあ、ほんとはそんなものじゃなくって、ソ連=国家資本主義視点で私が頭の中で一番考えたのが、「労働証書」問題だった。
 人間の対象化の行為が人間を作ると仮定すれば、労働行為の結果がカネであれば、その労働者は資本主義社会にいることになるではないか。カネが流通しているソ連は国家資本主義だ。社会主義ないし過渡期社会の労働行為の対価は、彼の労働時間を記した「労働証書」以外にはありえない。
 という論議(の記憶)である。 
対馬忠行「マルクス主義とスターリン主義」現代思潮社、1974.

 この書名データはネットからとったもので、自分の本は20歳頃紛失した。もっと早い年代の現代思潮社版があったはずだが、なぜ1974なのか不明だ。
 まあともかく読み直そうとネット検索をしたところ、都立中央図書館のみにしかなく、しかも貸し出し不可になっている。だいたい対馬忠行の名前も左翼の同窓会ネットのようなところにしか見えない。「それってトロツキーの翻訳者でしょ」
 ひどいものだ。だいたい社会科学なんざ進歩していない。いつか対馬の真価が分かるときが来るので、お持ちの方は捨てないでいただきたいと思う。
 先駆者の限界は語られようとも、理想を追う心が死ぬことはない。
 まあ、とにかく誰も知らないんじゃしょうがないが、ともかく、そういう論議があるとしよう。
 
 しかし、(しかし、って一人相撲だね)
 行為の結果は、マルクスの理解とは異なり、行為の結果、個人行為者の手の中に残ったもので量られるわけではない。行為の結果は個人行為者の認知の中にある。
 まず、疎外ないし物象化問題だ。
 カネを儲けようと思って行為した結果手に入れたカネは、行為の正当な結果である。
 労働証書を手に入れようと思って手に入れた労働証書も、同じ行為の正当な結果である。
 しかし、もちろん、パンを買うために労働した結果発見した、同じだけ働いているのに自分より金持ちがいる社会は、社会主義社会ではない。それは市場主義社会ではある。
 
 しかし、行為の結果は、それが規制されるために考えざるを得ない外界の環境の諸条件によって、元々規定されている。
 7時間労働によりパンを食べる権利を得ることは社会主義的だろう。しかし、その「公営工場」から、明日、首になるかもしれない状況は、なんら社会主義的ではない。
 これが社会主義的なのは、公営企業が労働者によって運営される労働者企業だからだ。
 マルクスたちが言ったように、国家権力が労働者によって確保されていることが、まず前提条件なのだ。
 計画経済国家は、どう悪口がいわれようと、少なくとも一部国家官僚の力を使えば、経済活動の帰趨、したがって全生産行為の帰趨、を変更することができる。
 一方、資本主義国家は、労働者の食生活の確保はおろか、ペットボトルの再生さえままならないのだ。
 これは、現象表現ではなくて、生産様式が国家権力を利用しているのではなく、国家権力が生産様式を掌握している、という、実に単純素朴な事態を指している。
 問題は、そんな単純さに理想社会が直結している、と信ずるお人好しさだ。
 そんなわけねえだろ。
 しかし、その単純な切り分けが、全ての「前提」なのだ。


5 組織の相違とは何か

 というわけで、いろんなことをのたまう組織が存在する。どっちかが正しけりゃどっちかが間違っている。まあこの場合両方間違っているかもしれないが。いずれにせよ、たまたま入った大学にそんな片方がいたおかげで、組織配下の人間はとばっちりを食って死んだりするのだ。
 いったいなんじゃ、組織って?

 国家であれ組織であれ、そんなものは関係の中にしか存在しないのであり、それが持つと称する信条で、アプリオリに擁護するものでも、帰依するものでも、敵対するものでもないのだ。
 そうだろうが、並み居る自称マルクス主義者諸君! 違うとでもいうのかね。
 まったく。マルクス主義なんざ返上しろ。
 とはいえ、過去のマルクス主義者は誰も展開したことがない話題だから分からなくともしょうがない。そこで、以下に要約する。
 
 社会の枠は、実験室のネズミの通り道のようなものだ。自由であろうとすればするほど通り道が決定される。
 組織の作成は、自由である。が、作成された組織が活動を始めるとき、組織の活動はすでに社会の中でしか存在しない。
 自分が作った将棋クラブは、その他の趣味グループの規定(性)を受け、自分のために作った社会運動クラブは、社会構造の中で、グループ化し、派閥に再編成される。
 
 組織は第1に、消費のための生産をめぐり組織される。
 第2に、国家権力(=暴力)の行為をめぐり組織される。
 第3に、対抗権力の行為をめぐり組織される。
 
 第1について、組織は生産の必要によって、実は消費物を将来のイメージに見る行為者によって、作成される。
 人が商品を売るのは儲けるためではない。まず、人は、売却によって得た金によって夢見る消費物を得るために、商品を売る。 
 人は、カネなど儲けようと思っているわけではない。
 人は食うために働くのであって、誰が食うことができるのに嫌な労働をするものか。
 
 次いで、もちろん人は金を儲けるために働く者もいる。
 人は嫌な労働はしないが、適度な運動によって、自分のイメージどおりの将来が、自分への賞賛を伴った将来が、自分への優越を確保できる将来が、手に入るのはだいだいだいの満足だ。(だいだいだい、、、これは奥様は18歳だな、、、、なにそれ)
 組織は、この過程において必要な複数の人間労働を確保するものである。
 
 第2と第3について、個人の身体的生理性に起因して、他者と自己の行為上の自由を制約しつつも作成せざるを得ない組織の構成は、消費に次いで、権力の配置による。
 組織は、個人の社会の規制を突破すべき意図により構成されるが、ここで社会の規制とは権力の網目であるからである。
 ちょっと複雑なのは、組織の成立はそこで、多人数の暴力を意味するところである。
 社会学概論であれば、これは、社会の権力の配置と組織の権力(=暴力)の成立との相互作用であるとか、いけしゃあしゃあといっていればいいのであるが、とくに若い人は覚えておいたほうが言いが、相互作用だなどと言いたがる人間は、なにも責任を取りたくない連中である。社会学なら当然だが自称マルキストにもそんなのがいる。
 なにが相互作用だ。
 社会なんてみんな相互作用だよ。じゃあね。みたいなもんだ。彼は何一つ明らかにしてはいないし、それで何かを言った気になること自体、その人間の本性を疑うべきことなのだ。遊びで生きてんじゃねえよ。あ、死んだか、H。
 ま、死んだ人間を悪く言うのは反論もできないことでよくないので頭文字にしたが、本当のところはそういうことだ。(この項目、下品だがどうしても削除する気になれない)
 
 
 さて、いったん成立した組織は、そうした組織組織者の思惑に関わらず、その構成員の対象的外界となる。
 すなわち、どんな意図があろうと作られた資本主義企業では、その社長の絶対権力にあこがれる丁稚、番頭が、彼の優越的自由の発揮場所としてこれを展開する。
 これは企業に限らない。
 組織が持つ目的へのルートの強調は、組織内に個人規制を生じさせる。権力のことである。
 同好会的組織においても、同好会会長の親権力度によって、その組織は権力組織となる。
 さらにこれは下部構成員に限らない。組織意思決定者にとっても同様である。
 
 組織には、目的への合理的ルートが内在すると人は考える。もともと組織のほとんど全部がそういうものだ。人は目的を持って組織を作った、はずだ。そしてその目的をより効率的に達成するために組織が作られている、はずだ。
 しかし、この、目的への合理的規制の指示可能性により、すべての組織は、目的を持った人間がそのために構成したのではなく、組織自体が「元から存する」ことになる。
 もしも、組織は人が目的のために構成するのだ、と強弁するならば、自衛のために組織した自衛隊は、災害活動などしない。
 人が野菜を売るために作った八百屋は、コンビニになど化けない。
 革命のために作った党は、社会の改善のために無農薬野菜など売りはしない。
 
 そうではない。
 かくて、動き出した組織は、存在するために存在する。
 偉そうなことを言っても組織は社会の権力の体現にすぎない。
 そして、ある、たまたまその社会的位置を占めた組織が、当時の消費物の確保(生産・流通)と賞賛と優越を確保するために、個人行為者それぞれの賞賛と優越をめぐって、彼ら組織構成員に権力を配分していくのだ。
 

 ついでに組織の変更について付言しておこう。
 生産は、時の商品経済の動員方向によって、組織を変更する。
 ここで権力の配置はそれ自体では静態的なものである。
 ここに生産=消費の変動と、共同性の異動、他の諸権力の異動が生じ、事実認知がタイムラグをもって変更の必要を送る
 すなわち、国家が配置した常備軍は、メシが確保されているのでそのまま存在し続ければいい。
 しかし、常備軍も、それを操らんとする権力者も人間であり、彼らは彼らの賞賛に影響される。
 ところで権力者の賞賛は上層階級の賞賛であり、これは、メシが確保されている間は、各種の事実認知で左右される。
 この事実認知は、各階層による、時代的な紡ぎモノである。
 それを紡ぐものは生理的各種要素=資本主義であれば商品経済的消費関連であり、農村の足かせがある資本主義社会のネックからいえば、共同性の変遷であり、あるいは他国の資本主義と国家権力の状況変動である。
 

 ではちょっと長くなったので、今回はこの辺で。
 次回は、今回の「労働者国家」とか「国家資本主義」とかの論題に潜在的に含まれている、〈過渡期社会〉とはなにか。



【過渡期国家論】
  過渡期社会の規定と「理論」をめぐる若干の考察


1 過渡期国家とは何か

 ここで過渡期国家というのは、社会主義がどうとかの問題ではない。共産主義社会、すなわち、各人の必要に応じて、消費される社会に、繋がりうる社会、ということである。
 およそ、何が社会主義で何が国家資本主義で、だのという、自分の感性にしか基づかない評論と組織戦術、ぶっちゃけていえば幹部の自分勝手な成り行き任せの規定に、私まで巻き込まれるのはまっぴらごめんだ。そんな仕事は、そんな仕事をして世間に自己表現すれば満足して死ねる人間に任せる。
 
 なのだが、すでに共産主義社会がなんなのか、マルクス主義者にも疑われるご時世である。
 まことに昨今のような、ふと気が付けば、共産主義的常識など知っている者がどんどんリタイアしていく、という状況があり、私ももう少し丁寧に書いていかないといけないのか、と暗澹たる思いに襲われる。
 ともかく、何への過渡期かを確定しておこう。
 過渡期とは「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」社会への過渡期である。
マルクス・エンゲルス、『ゴータ綱領批判・エルフルト綱領批判』マルクス=エンゲルス選集刊行委員会訳、国民文庫、1954.
 言い出したご本尊の言うことなのだから、言うことを聞かなければならない。

 人は生きるために消費物を手に入れなければならない。ところで、今の社会は、自分ひとりで作れるものでは人が生きていくには足りない、という前提がある社会だ。そこで他人が作ったものを総体として考えてそこから「受け取る」必要がある。
 一方では、消費物は誰かが受け取らなければならないから、人はできることをする=「能力に応じて働く」必要がある。
 私などは中学生のときにどこからか習ったような言葉だが、最近、広松渉が1991年にわざわざ大学で講演しているのを読んで、ぎょえ、と思ったものだ。
 言ってる内容は、昔のオルグ教科書に載ってることで、広松先生だからどうということではない。まあ、こういうことだ。
『うまくいっている家庭の内部のことを考えてみてください。家庭の内部では能力に応じて働いて、必要に応じて配分されているわけでしょう』
「社会主義の根本理念」『経済研究』五号、大東文化大学経済研究所、1992年3月刊
 もっとも「広松渉コレクション」第2巻所収、情況出版、1995。

(補足その1)

 と済ませようと思ったら、世の中広いというか、そこまで来たか、というか。ご本尊の末裔、日本共産党はこうした見解を破棄したようなことである。
 
『「国家と革命」でレーニンは,分配方式の二段階論を社会関係における段階として普遍化した.さらに高度な段階=「必要に応じて分配する方式」を,国家の死滅した段階=「共産主義」社会と結合させることで,問題を二重の意味で複雑にした.』
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/manifest.htm
(注:「必要に応じて受け取る」のが最高段階なんて、マルクス様は言ってないよ、ってさ)

じゃあ、いわゆる高度な共産主義社会とは何かというと、
「(生産手段が社会化されればそれでいい。その後)搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる。」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-06-25/00_01.html

 びっくり。「必要に応じて」なんて共産主義社会じゃないんだって。
 いや、びっくりといってもちょっとだけ。
 私も大人だから、共産党がどう言おうが何かが変わるとは思っていないし、結局彼らは何だって言うし。「結局、彼らはそのときの票になればいいんだよ」と、30数年前、したり顔で教えてくれた先輩は、やはり正しかったのだ。
 ただ、これからなんか言うごとに、こんな『異説』の存在の紹介で時間を殺さなければならないかと思うと怒りを感ずる。
 何が「搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき」だよ。君達は公明党か。人柄で社会が変わってたまるか。そんなもんで本質規定されてたまるか。やっぱ衆院選じゃ票入れるのやめた。
 しかもだよ、下級党員諸君、こんな解釈も15年も経って受けなくなりゃ、口を拭われて変わっちゃうのさ。もうその頃は世間じゃ右翼国家主義全盛だろうしね、選挙で勝つために「マルクスは決して国家を否定したわけではありません」とか言ってるよ。そんなことをいうはずがない?いってると強弁するのは簡単なんだよ、どっかのセリフを取ってきて並べりゃいいのさ。「国家には良い国家と悪い国家があります。良い国家で初めて自由が手に入るのです。マルクスも『自由は、国家を社会の上にある機関から完全にその下につく機関にかえることである(ゴータ綱領批判)』といっています。」
 ぞぞぞ、、、。預言者隈。)
 さらに問題は、私有がなくなれば(国有でも)万万歳、という、なんちゅうか理論外の理解だ。
 政治局員の精神内部の個人の喪失がこうしたオメデタさを招く。
 自分のメシが足りているときは、個人とは他人のことだ。個人には権力がないので、行為者にはそんなものは省みられないのだ。これは、人間が持っている主義の問題ではないが、少なくとも、政治局員の責任ではある。
 国有でも、指導者層がきちんとした指導をすればいい?
 しかし、下部党員諸君、それがスターリニズムなのだ。
 スターリニズムが何か特殊な個人の思想や性格だと思ったら大間違いだ。さらに、トロツキスト諸君のように、一国社会主義なりその帰結だ、などというのも、マルクス主義を遠く離れた観念論だ。
 
「よし幾千万の人間が、天上のパンが欲しさに、おまえの後からついて行くにしても、天上のパンのために地上のパンを捨てることのできない幾百、幾千万の人間は、いったいどうなるというのだ? それともおまえに大切なのは、立派な、力強い幾万かの人間だけで、その他の弱い、けれどもおまえを愛している幾百万の人間、いや、浜の真砂(まさご)のように数えきれない人間は、すぐれた力強い人間の材料とならなければならぬというのか?
……………………」
「何もかも、本当に何もかも、彼らはわれわれのところへ持って来る。するとわれわれはいっさいのことを解決してやる。この解決を彼らは喜んで信用するに違いない。というのは、それによって大きな心配を免れることもできるし、今のように自分で勝手に解決するという恐ろしい苦痛を免れることができるからだ。かくてすべての者は、幾百万というすべての人類は幸福になるだろう。しかし、彼らを統率する十数万の者は除外されるのだ。すなわち、秘密をほじしているわれわれのみは、不幸に陥らねばならぬのだ。何億かの幸福な幼児と、何万人かの善悪の知識ののろいを背負うた受難者ができるわけだ。」
カラマゾフの兄弟  ドストエーフスキイ / 中山省三郎訳 (角川文庫・上巻)
http://www013.upp.so-net.ne.jp/hongirai-san/pro/pro4.html
 誰にも悪気なんてないさ。
 別に言ったって聞く耳持たない諸君ばかりだから、不毛な論議はしないけどね。結論だけ言っておこう。すべては制度に組み込まない限り、権力と生産関係には個人では抗しえないのだ。

 元に戻ろう。
 日本共産党の諸君、人間の解放の本質規定が「必要に応じて」なのだ。その他のことはこれを実現するための手段なのだ。
 誰もが必要に応じて受け取れる社会では、社会の規制要因がないから、それ自体で人間は自由であり、行為論的個人は、それゆえに解放されるのだ
 共産党の諸君。まちがっても、人間は、労働時間が週3日半になるから解放される、のではないのだ。
(これは民主青年同盟員用の綱領案解説ページにあった。)

(でね、注:こんなこと政治局員が言ったって善良な共産党支持者や民青同盟員諸君にはなんの罪もないのさ。(まあいったのは不破そのものだけどね)
一方、下部党員諸君は私がこんなことをいえば共産党への批判だと思い反発する。

でもね、悪いけど、僕は君たち下部党員諸君が共産党だなんて思ってないの。
革マル派の下部セクト員が革マル派だなんて思ってないようにね。 ごめんね、諸君。
その他いろいろも同じことさ。君たちには政治局員がいるだけ。
あとは善良な美しい心があるだけ。
それが本物のマルクス主義ってもんさ。

困ったもんさね)


(補足その2)

 さらにびっくりすることには、ネットめくってったら
「だれそれという学者みたいに未来の体制を考えたがるのは、プチブルのスケジュール願望だ。そんなものは運動の過程で、なるようになる」
 みたいな議論もあったね。旧新左翼の末裔の人だったけどね。
 ああ、ここにも時間の止まった人がいる、と自分のことを気をつけようと思いました。
 70年当時あったんだよね。「青写真はいらない」論。
 今はだね、ウソでいいから青写真がいるの。
 人間は何もないところには行けないんだよ。
 昔は、人々の頭に「社会主義」があったんだよ。誰がなんと言おうとさ。「ほんとは社会主義じゃない」だろうがさ。そこに行けたの。
 末裔さん、今はさあ、じゃあどこにいくのさ。なんもないでしょ。わかってないやね、こんな落ちぶれても。
 
 いいよ、アソシエーション論、とりあえずは掛け声だけでも、どんなウソでも、さあ。ないよりましさ。
 ほんと、時代に取り残されて。
 そういや最近は68年闘争っていうんだってね。なんじゃそりゃ。誰が決めたかクック・ロビン。
 70年闘争は、45年も前から、70年安保闘争の略なのだよ!
(実は、私もふとそのほうが正しいのかと考えてしまったのでしたが。なお、「35年前」からではありません。念のため。)

 とかさ、
 思うんだけど、あんまり人の悪口いっちゃいけないよね。
 およそ、行為者の行為は、自己の将来を賭けた行為なのだから、理論の結論の異同は、自分の将来がかかった問題なの。
 もちろん将来といったところで、メシの食えている人間のもつ将来は、行為の不成就の懼れに起因するただのストレス状態にすぎないけどね。
 とりあえず1人の肉体しか持たない意見者間にあっては、何を言い合っても、生理性には届かない。
 だけど、権力の入手は、さらにこのコンフリクト(前ケンカ状態)を闘争状態に引き上げる。
 手下を集めた理論家が、すでに以前の同志的ライバルではないのは、理論家稼業にとっては残念なことだけど、それも世の常、会社の同期がいつまでも仲間ではないのと同様なんだよね。
 って、やっぱ、悪口になってしまった。組織構成員になっちゃ美しいライバルもおしまいさ。

(注:困ったもんさね。どうしてマルキストはマルクス主義者じゃないんだね)


2 過渡期国家とは何か(その2)

 低レベルの論議をするとやる気が失せる。気を取り直していきましょう。
 
 では、積極的に過渡期国家ないし社会とはどういう体制か。
 過渡期社会とは、実は「階級」のない社会ではない。
 しかし、おそらく対馬忠行が本当は考えていたように、格差のない社会である。
 人の幸せは彼岸にあるのではない。
 なあんだと思うかもしれないが、人の幸せは、相当多くの社会の一部、たとえば上の下の階層が享受するものの中に含まれる。
 もちろん資本主義社会でも人生のある時間に存在している、といっている。
 問題は、第1に、その階層を維持するために所得獲得者が払っている代償の大きさであり、第2に、その生活必須物なるものの存在と、それを、それ以下の階層の者が享受できないということだ。
 これらの問題を再生産しているものが、資本主義体制だ。

 ところで、そんな現在は上の下の階層が持ちうる幸せの要素は、「豊かさ」である。
 しかし、話は複雑なのだが、豊かさは幸せの要素ではない。資本主義的階級社会の豊かさは単なる幻想だ、が、人は幻想の中で生きる。この幻想が、幸せに必要なのであり、この幻想の要素が、現在の社会にあっては豊かさなのだ。
 
 過渡期社会は「豊かな社会」とは異なる。それは、単に生理的必要が社会全体に満たされている世界に過ぎない。
 人は知ったかぶりの坊ちゃん嬢ちゃんが話す「豊かさ」を信じてはならない。
 もちろんそんなものを信ずるのは学生か田舎の土地所有者ぐらいなのだが、人は自己保全のためにならどんな信じてもいない言い訳でも使うものだ。
 人間にとって「豊かさ」など存在しない。

 マルクス主義者諸君は、賃金が労働力の価値以下だから窮乏化だとかいっているようだが、そんなことではないことは既に別の場所で述べた(『変革の機制』等)。
 しかし、そこでは、購買物品というのは歴史的に決まるといって先に進んでしまったのだが、これは「相対的に窮乏化だ」とかいう問題ではない。

 購買物品は何によって決まるか。
 
 人は、自分が何のために生きているか認識していない。
 当たり前だ。
 人は何のためにも生きてはいない。
 そうではなくて、人は次の瞬間のために生きているのだ。
「従って」
 この「従って」が重要なのだ。
 従って人は、彼の将来がカネによって手に入らなければ「貧乏」なのだ。
 ここで、彼の将来は、ワイドショーが見せる将来であり、マリクレールが見せる将来であり、 ポパイが見せる将来なのだ。
 そんなものが貧乏だといわれちゃ、焼け跡闇市派が泣くぜ。
 かくのごとく、肉体的安楽は存在しても「豊かさ」という概念は、それ自体、末期資本主義的商品化の生産物なのだ。
 我々が排撃するものは、豊かさではない。同時に、日本においては貧しさ(の偏りであっても貧しさそのもの)でもない。
 人が「心の貧しさ」と呼ぶ、資本主義そのものなのだ。

 われわれは、資本主義を否定しつつ生理性を確保した社会を生きつつ、全国家が生理的必要を充たす体制を構築するまで、時間を過ごしていく必要がある。
 
 それが過渡期国家であり過渡期諸国家であり過渡期社会というものだ。
 ここで青写真は、いわゆる粗野な共産主義=社会主義国家である。
 

3 過渡期となる社会主義国家とは何か

 これについては、既に述べた(『変革の機制』『〈自由〉を探した靴』等)。別に再掲する気もない。
 先に旧新左翼の末裔氏の悪口はいったが、確かにそういいたい気はわかるので、どうせ、来てもない社会のことなのに足の引っ張りあい、目くそが鼻くそを笑ってるたぐいの論議を見るのは虚しいばかりだろう。いくらそれを構築する必要があるといっても、部外者の方々は見ただけじゃわからないのだろうから、今回は引用はやめたい。
 
 ただ憂さ晴らしはさせてもらうと、要するにソ連崩壊後の最近の流行りは、マルクスがアソシエーション社会=協同社会を指向していたのだ、ということだ。
 それ以外は、マルクスがどういっただの、レーニンがああいっただの、何十年経ってもコリもせずおよそ非生産的な話ばかりをしているということだけ頭に留めていただければいい。

 私など、アナーキズムからこの道に(?)入った者には「いまさら何いってやんでえ」という感想を免れえないものだが、まあ、実際、マルクスも死ぬ前は宗旨替えをしたようだ。
(注;アソシエーション論など「共産主義者に言わせれば」プチブルアナーキストの専売特許のはずだ。マルクスは、中期までは、協同社会的社会主義を主唱するフランスのアナーキスト達に、さんざん下品な悪口を言い立てたものだ。マルクスの弟子達もしかり。ようやく70年闘争時、特異な弟子が一人二人、例外的に発生した、というぐらいだ。)
 しかしそんなことはどうでもいいのだ。マルクスの何十行かのご託宣を突っつきまわすヒマがあったら自分で考えりゃいいだろう、ということだ。
 自分のアタマで考えられないやつに、反スターリニズムもありゃしねえ。
 時流に乗り、人真似をし、国家権力が右を向けといったら先を争って右を向くさ。

 さっき言ったように、アソシエーション社会だっていいや。悪いとわかったら反省するのも大事だ。
 しかし、過渡期社会一般がそれですむと思ってもらっては困る。
 まず、左翼であるなら、目をモンゴルの草原砂漠に、アフリカのサバンナに、向けなければならない。
 いや別にマルキストなら、自分に都合のいい工業国にだけ目を向けるという選択肢もあるんだろうけどね。(いや、私のイヤミではない。ネットで見てたらそんな選択肢を実際に思いつく党派員がいてさ、あ、こりゃマルキストはどうせマルキストだね、信用ならねえ、と思っただけ。)
 左翼ならそんな選択肢はない。
 この自然的条件における低生産力地域が、生産方式上も、人口的にも、必要に応じた配分を受けるためには、何百年単位のプロセスを覚悟しなければならない。
 もっとも、そんなプロセスは人類史上、ほんの瞬きとはいわないが、いくつかの世代交代しか必要ではない。
 それまでの間、先進国で資本主義にとどまったままというわけではない。
 それまでの間は、次善の体制で推移する、ということだ。

 したがって、マルクスがどう言っていようが、共産主義などすぐにはこない。
 そんなことは前提なのであり、とりたてて大騒ぎするほどのことではない。
 それまでどうやって、理論上は「時間をつぶす」かであり、われわれ個人としては、共産主義でなかろうが、マルクスには想像もできなかったこの現代日本で(とりあえず、国家日本で)満足に暮らせるか、ということなのだ。
 
(補足その3)

 前回も述べたが、こうした現実主義的判断以外に、やはり、「労働の自己疎外」という問題は、残るのだ。
「労働が労働者にとって外的なものであること、すなわち、労働が労働者の本質に属していないこと、そのため彼は自分の労働において肯定されないでかえって否定され、幸福と感ぜずにかえって不幸と感じ、自由な肉体的および精神的エネルギーがまったく発展させられずに、かえって彼の肉体は消耗し、彼の精神は頽廃化する、ということにある」
マルクス「経済学・哲学草稿」城塚登、田中吉六訳、岩波文庫、1964.(P91)
 一般には、こうした労働は資本主義下では不可避であって、これを正さなくてはならない、と続く。
 実際、こういう良心的な議論は、精神が洗われる。
 とはいえ、正しいかどうかは別の話だ。
 その筋ではマルクスが後期になって自説を変えたかどうかが議論になるが、われわれにはマルクスがどう変わろうが関係はない。この初期マルクスがなぜ正しくないか、という問題があるだけである。
 この点も以前に行為論として言及したが(『変革の機制』等)、今回は、もともと労働概念が提出された視点について述べる。

 まず、現実はどうか。それはアダム・スミスが書いたような、一部の分業労働者はそれに近く感ずるかもしれないが、ホワイトカラーも運輸労働者もそういう書き方には違和感を覚えるだろう。(どうせ俺らは労働者じゃないしと思うかもしれないが)。
 しかし、そうではない。
 労働の非行為主体者性は、その規制性にあるのだ。
 労働=人間行為主義者の満足のする例を挙げよう。
 木を切る者は、社会にとって不可欠である。その成果を売るのであれ、物々交換するのであれ、 木を切る一方でご飯は別の共同体員が用意するのであれ、だ。
 ところで、木を切るためには大変な我慢や努力が必要だ。また、何人かで切り出し運ぶ材木のうち、この黒い斑点のある材木を切ったのはオレだ、というラベルもない。しかし、それは、人間的な営みであるとしか規定できないだろう。
 この例で、単純に木を切る側面を持つ者の満足が本来の人間の満足でなければならない。
 さて、ここで、林業労働者も同様に大変な我慢と努力とともに、労働者集団で材木を切り出す。 この林業労働者と共同体内木こりの違いは何か。

 それは、みんなで出勤し退勤する規制であり、尊敬もしていない上役労働者の指図に従わなければならない規制である。
 あるいは、切り出し仕事のない日は、会社に出て社長にデカイ面をされたり、自分が社長になる日のために上司の商売技術を身に付ける努力の必要である。

 ヘーゲルの場合は知らないが、アダム・スミスやマルクスが言及した「労働」とは、彼らの意図に関わらず、決して、行為主体の行為そのもののことではない。経済関連上で、賃金労働者が提供しなければならない労働のことである。
 これでは、まだ違いは出ないね。
 それは資本家が利潤を得るのに必要な限りでの労働なのであって、労働者が何を考えようが何を感じようが本来どうでもいい概念なのだ。
 もちろんアダム・スミスのような評論家は、工場労働者の現実の悲惨を語らなければならない。しかし、それは利潤追求の結果としての労働者の姿であって、労働者が持つ彼の行為の結果ではない。
 といっても、インテリや学生にはわかんないやね。労働者だって、疲労困憊で仕事が終われば、家族や仲間と「疲れてしょうがねえや」と愚痴を言って生きていたってことだ。日曜には教会に行った後でパブで賭け事をしたり、そういうささいな喜びのある生活をしていた、ということだ。
 あるいは資本論体系にはすでに、労働を提供するための苦しみも喜びも「必要ではないので」存在しないのだ。マルクスの時代まで下がれば、もう労働者はパブでビールを飲みあう余裕も、家族と団欒をする余裕もあったのだ。 
 ここで、「いやそうではない」とくるから、すべては「観念教義」になってしまう。現実に労働者がそうでないかどうかは、別途論議しよう。しかしまず、国富論にとっても資本論にとっても(マルクスが経済学・哲学草稿で問題にしたヘーゲルにしても)、その時代に本当に生きている労働者の個人の一日など考慮されていないことを確認せよ。
 わかんねえだろうなあ、具体的な今の日本の労働者の一日だって、自分の理論に詰めたことなんかねえんだもんなあ。
 まあ、いいよ、わかんねえやつは。
 

4 しかし、残される問題

 しかし実は人間にとって「理論」とはそういうものではない。
 そういう、とりあえず、個人の現実を過ごしてて適当な時期になったらなるようになるさ、なんて浮き草のような話で、今日も生きていけるものではない。
 
 過渡期社会は彼岸になければならない。彼岸であれ、浄土になければならない。

 人は、死んでいく仲間のためには、将来に命を賭ける。この将来は、現実に命のかかった将来である。
 あるいは、苦しんでいる仲間のためにも命を賭ける。この将来は、引き換えてはいけない将来である。
 そうではなくて、人は、苦しんでいない仲間について、闘いの炎を燃やさなければならない。
 そら、あーた、苦しんでいない仲間と一緒に民謡を歌うのも勝手だけどね。(誰のことをいってるんだ。とにかく、)
 しかし、仲間ではない苦しんでいる者の観念について闘うためには、人は彼岸について歌う必要がある、そうでなければなんで自分の将来を賭けなければならないんだ。


 では、行為主体にとっての理論そのものについて確認しよう。
 理論は、彼の生理性、賞賛、優越によって受諾され使用されるが、その理論なるものの行為者にとっての本体は、以下である。

 すなわち、思想は、彼の人生にセットされなければ、個人の思想ではない。
 理論は、個人行為者の現実である。
 正しく言えば、理論によって引き起こされる理論内容の記憶は、彼の理論受容時の人生のイメージによる。
 だから、一般不変の『理論」なるものは本の中にしか存在しない。
 読まれてしまった理論は、さらに、記憶されてしまった理論は、その人間の価値観の塊であり、逆に価値観を喚起できなかった理論は、インクのシミに過ぎない。

(参考:
 ここでは、一般人に手に入る書物、
信原幸弘「考える脳・考えない脳」講談社現代新書、2000、P162。
を挙げよう。
 心理学系の話は、何によって証明されているのか不明なところもあるが、まあ、東大教養学部助教授のこの書物を挙げるのは、通説に近い解釈と世間の人間にも認められるのではないか、と思うからだ。
 彼は行為主体の認識主体性について、次のように綴っている。
「状況を把握するとき、わたしたちは状況を構成するすべてのことがらを把握するのではなく、関心のあることがらだけを刺激から復元して把握します。」
「わたしたちは(状況を構成する)ことがらをすべて復元するのではなく、関心に応じて必要なものだけを復元します」等々。
 多少、私には興味のない別のニュアンスの発言が続いているので(その分私には筆者の洞察は曲がっているのではないかと感じられるのだが)まあ、おおまかにいって、この種の解釈が通説に近い、と考えられる、ということだ。)

 じゃあ、理論の価値の大きさはどこで決まるか。
 社会的規制の意味づけは、すべて行為原則によって決まる。
「従って」
 理論の意味づけも、生理性の考慮の必要のない状況においては、教育的規制(年長者による賞賛等)によって決まる。あるいは、シナプスの接合がなされる。
 これに対して、主体的な意味づけが、自己の社会的交渉によって、決まる。あるいはシナプスが再接合される。
 つまり、過渡期社会が人民に対する大きな力を得るためには、人民の社会的交渉が必要なのだ。
 早い話、運動的力、流行活動の力、組織的力。それらの渦。
 私は(べつに「われわれは」でもいいけどね)、ここでもじっと待つ必要があるのだ。

(などといって、実は「包帯のようなウソを見破って」いるだけのような気もするが、しかし、世界にはそんな役割を負うべく生まれた人間もいるのだ。)


  暑い中、結論に行く前にずいぶん長くなっちゃった。
  もうよしましょう。
  
  次回は、そしたら、個人が抗し得ないといった、社会のシステムとは何か。

  (注: 《善意の大審問官は、何を基盤にスターリニストになりえたか》 )






***************************************

【この文を読むための参考】
行為の原理と原則


 えー、というわけで、この文は、私、隈の社会学の一部ということで、すでにみなさんがある程度私の理論をご存知でないと読みづらくなっております。
 で、例によりまして、隈行為論の中核たるべき(?)前からの読者にはおなじみの例の行為の原理・原則について、ここで、簡単に行為論の基礎を引用しておきたいと思います。
 なにしろいつものコピーですから、前からの読者の方はご覧になる必要はありません。


 ‥‥‥‥
 人間が行為をする際に不可欠な、個人の主体的な行動の原理・原則をあげておく。
 第1に〈状況の認知の原理〉
 人間は、現在の自分の状況と将来の状態へ移行する手段とを認知しなければ、反射運動以上の行為をすることはできない。
 これは優柔不断な人間や計算高い人間だけがすることのように受け取られそうだが、そうではなくて、どんな単純素朴な人間(や他の動物)のどんな行為にでも、不可欠なことだ。酔っぱらってビール瓶で殴りかかるような奴でさえ、自分が酒場にいることを認知しており、一瞬の間に、自分の前にビール瓶があることと自分が以前に殴る動作をしたときのイメージと、自分の相手が負けるイメージとが、将来のイメージとして神経組織を走るはずだ。
 (もっともここで〈イメージ〉というのは、心に浮かぶ「イメージ」の根底にある作用のことで、現実には心に浮かぶ間もなく神経細胞を走り去っているかもしれない。)
 つまり簡単に言えば、人は自分がこうすれば相手がどうなるかを(誤解やマチガイはあるが)心の底で知って行為する。
 第2に〈将来感覚の認知の原理〉   
 人間は行動する前に、かならずその行動を現実にしたときの自分を感覚してから行動するものだ。
 人間の反射運動を除いたすべての行為は、頭の中で処理されるスピードにこそ違いがあるが、この将来の感覚を媒介として(多くの場合はイメージを現象させつつ)成立している。
 さっきの酔っぱらいも、相手が負けたときの快感を認知して(予想的)期待とともに殴るわけだ。(もっともアルコールの作用もあるし、どこまで深く認知しているかは別だが。)
 簡単に言えば、人は自分がこうしたときの自分の状況を心の底で知って行為する。
 第3に〈確認の原理〉
 人間は行為し終わった後に、その行為がどんな結果をもたらしたかを確認する。
 これは、他の原理と違って、いつも生ずるというと言いすぎだ。でも、人間が生き続けるにはある行為を別の場所でも適合するように修正して再使用していかなければならないわけだが、この意識的な行為の成立には不可欠なプロセスだ。
 相手が血を流して倒れていたのを確認したら、次の機会にビール瓶を手に持ったときに神経組織を走るイメージが異なるだろう。(それが快感で病みつきになるかもしれない。)
 簡単に言えば、人は自分がしたこと結果を知らないと満足しない。もっとも忙しい現代、「こうなったはずだ」と信じて次の行動に移ることも多いが。

   人間行為の原則

 これらの原理をもった行動の中で、人間が何かの行動の選択を行なう際の原則をまとめよう。
 第1に〈論理性の原則〉
 人間は、たとえ子供でも、つじつまの合わない行動はしない。そもそも「考える」という行為は論理の道筋を必ず持っており、「考えて」する以上は、必ず何らかの意味で論理的な行為の選択だ。更にこの「論理」とは、以前に自分が行為した経験と今の状況との間で、どこが同一か(同定の原則)、を高速にイメージすることだ。
 つまり、人は行為をするときは、自分の経験を通して、こうなる「はずだから」として考える。
 第2に〈好悪の原則〉
 人間は「好き嫌い」によって行為の選択をする。
 これは別に愛情の有無をさすわけじゃない。人間が生物学的な存在であるところから、すべての行為について生理的な判断として「好悪」があり、この生理的な感覚が積み重なって、複雑な好悪判断がなされる。
 つまり、人は、較べてみて、より好きなことをする。
 第3に〈経験の将来感覚の原則〉
 今述べた〈好悪〉は、具体的には、自分が過去に経験した生理的感覚の直接の記憶によって判断される。山に登って得た快感は、人に「僕は山が好きだ」と思わせる。
 ところで、この「山に登れば快感がある」という認知は、この快感の記憶とは別に、生理的快感の存在する場所として「よかった」イメージ、「うまくいった」イメージを保存させる。そして、自分と快感との関係を保存したこのイメージは、後になって別の行為の判断の際に刺激され、使用される。
 たとえば、山を削って道路を作る計画は、先に得た快感関係のイメージを刺激し、僕はこの計画に反対するだろう。(これは、僕が「山を好きだ」からではなくて(山には「性」もないし一般的に僕に対して対応をもつ主体でもない)過去の山との関係の認知を刺激するからだ。)
 「価値判断」と呼ばれる判断は、この好悪によって判断された経験上の記憶のイメージによるものだ。
 つまり、人の快感は具体的なモノにくっついて残る。そのモノは快感を呼ぶものとして人には大切なものになる。
 第4に〈優越的自由の原則〉
 人間は、行為の完成、つまり、一連の行為の流れを自己の意思のままに経験できたときに、自己の行為に満足を覚える。
 そのため、この行為を邪魔されずに自己の自由の下に行なえる担保として、他者に負けないことないし優越していることを望む。
 これは、日常的には最も重要な選択原則だ。
 要は、人は自分の好きなようにしたい。
 第5に〈賞賛(ー規制)の原則〉

 人間は、他人から教育されて初めて一人で生存できる人間となれる。そこから、人に賞められることを望み、かつ、そのためのひとからの規制を甘受する、というより内在化する心的機構を持たざるをえない。
 これは幼少期には重要な選択原則となる。ある年令の子供は(他の問題がなければ)人に賞められるように行動を選択する。
 また、潜在的には、大人になってもいわゆる「自我」として重要な感覚を形成する。
 要は、人は誰かに褒められたい。

   人間の自発性

 これら原理と原則は、いわば人間の環境的事情、人間が行為する際に受動的に神経活動を行うときの諸側面だ。人間の存在それ自体を考える際には、これら以外に、これらの環境性を身につける人間自身の問題を一つ考慮に入れなければならない。
 つまり、人間の自発的事情、身体的な諸要請(欲求)と、身体性に裏付けられた行為の自由だ。人間は、生物学的個体として自己の生存を自分で確保していかなければならない。当然至極のことだけど、指摘だけしておく。

 さて、行為の原理・原則はこれだけだ。重要な点は、ここでは誰にでも思い当たる当り前のことを羅列しているわけではなくて、「これだけだ」と主張している点だ。以下の行論でもこれ以上の素材は使わないし、その必要がない。
 人間は、これらの原理原則の下で、自己のある行為の完成を求めて行為する。従って、行為の本来は個人の自由であり、種々の後発的環境的制限からの解放への志向だ。
 もう少し簡単に言えば、人は好き勝手なことをしたい。もっとも、都会の人間が砂漠の真ん中で「さあここならお前は自由だ。好き勝手にしろ」といってもふつう楽しくはない。人は、環境によるいろいろな制約の中で、自分の認知に沿って思い通りの行為ができたとき、生理的に満足する。 ‥‥‥‥




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